因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新宿梁山泊第63回公演『ユニコン物語~台東区篇~』

2018-06-16 | 舞台

*唐十郎作 金守珍演出 公式サイトはこちら 新宿・花園神社境内 特設紫テント 25日まで1,2,3,4,5
 梁山泊のテント公演は今回で2度めになる。桟敷席は前方3分の1くらいのスペースで、その後ろに設置された椅子席は、3時間座っていても腰が痛くならない良品である。扇風機が使われていたり、平成中村座とは言わないまでも「テント式の芝居小屋」風の快適な構造だ。客席ふくめ、縦横の長さや天井の高さも十分にあり、大きな舞台装置や大胆な美術が可能である。

 昨年の『腰巻おぼろ 妖鯨篇』は、初の紫テント観劇の気負いもあり、強い印象を持ったが、今回はさまざまな面で異なる手ごたえを得た観劇であった。もっとも不思議だったのは、台詞がこちらに届いてこないことだ。俳優は皆大きな声で発語しており、音声としては確かに聞こえる。しかし確かなことばとして、こちらの耳、頭、心に伝わってこないのだ。上演前、主宰であり演出の金守珍は、「10分の休憩を挟んで2時間58分!がんばりました」と挨拶した。「がんばった」のはテキストレジと俳優の演技のスピードアップであろうか。台詞の粒が際立たず、聞き取りにくいところが散見するのである。大がかりなセットでスペクタクル性や外連味はたっぷりとあるが、どこか「上澄み」めいており、先月観劇の唐組公演『吸血姫』の濃厚で強烈な印象には及ばなかった。

 それでも終幕、テント奥が開き、ユニコンにまたがったテシオが花園神社の橋へと消えゆき、院長がバイクで走り去るときの切ないまでの寂寥感は例えようがない。ここは新宿の花園神社でも日本でもない、どこの場所でもないところに置き去りにされたような寂しさが漂うのである。

  金守珍は「アングラ演劇の継承」を掲げて活動を続けている。その表れとして、カーテンコールにおいて、大鶴義丹を「唐十郎のDNAを継ぐ男」と紹介するのであろうが、果たして必要であろうか。自分は大鶴が出演した映像や、さまざまな媒体における発言をつまびらかに知るものではないが、不世出の演劇人である唐十郎を父に、また余人を以て代えがたい俳優である李麗仙を母に持つ彼には、ことばにし尽せない葛藤と屈折があり、同じ表現者として試行錯誤があることは想像に難くない。その両親の子として人生が与えられたこと、DNAを持っていることは、本人の努力によるものではない。しかしながら、いわゆる芸能界における二世俳優とは異なるポジションであり、かといっていわゆる伝統芸能の御曹司でもない。そこを敢えてDNAを強調する必要は、もはやないのではないか。

 大鶴義丹は、自分の資質と現在の状況を客観視できる聡明な人であり、自分の資質をよく知った上で、俳優としてどのように呼吸すればよいかをまだ模索していると想像する。血のつながりは濃く、消しようがない。だからこそ、そこはさらりとしてほしいのである。

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