因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝『時を接ぐ』

2018-09-25 | 舞台

*黒川陽子作 丹野郁弓演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASIMAYA 10月7日まで1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33
,34,35岸富美子・石井妙子の原作『満映とわたし』は、東洋一と謳われた映画撮影所・満州映画協会「満映」と、関わった多くの日本人が体験した過酷な運命を、若き女性編集者の視点で記した渾身の一作だ。「あのときのことを言い残さなければ」という誠実な使命感が紙面からびしびしと伝わる。これを気鋭の新進劇作家・黒川陽子(1 もっと見ているはず。探してみます→あった!2)がどのように劇化し、民藝の俳優陣がどう演じるのか。

 原作は、まず富美子とその家族の物語がひとつの軸である。父親を亡くし、母親が働き通しで子どもたちを養い、富美子の兄たちも早々に実社会へ出る。そこが映画の撮影所であったというのはまことに特殊であり、映画界というもの、映画人との交流がもうひとつの軸となる。そこに日中戦争から第二次世界大戦へと続いた長い戦争が襲いかかり、人々の人生を揺さぶり、傷つける。

 今回の上演のみどころのひとつは、舞台ぜんたいを映画の撮影所に見立てた点だ。中心に演技エリアを置き、その両脇に機材や衣裳に大道具類、撮影スタッフたちを配置する。場面転換は、撮影のセットのごとくスピーディに行われ、年老いた富美子が過去を振り返り、娘に語るという構造を示す。

 もうひとつは主人公の富美子を演じる日色ともゑである。先日盟友の樫山文枝とともに「徹子の部屋」に出演され、御年77歳と聞いて驚いた。舞台ではたくましい母とやんちゃな兄たちとのつつましい暮らしの場面もあり、そこでの富美子はほんの子どもである。つまり十代の少女から、結婚して娘を生み、戦後を生き抜いて老境に至るまでをメイクも服装も変えないまま演じ通すのである。『女の一生』顔負けの大河ドラマだ。日色は技巧的な面を見せず、子どもも老人も無理なく自然に演じているように見える。これは小柄であることや、若々しい声(とても可愛らしくもある)など、もともとの資質に加え、劇作家の工藤千夏がパンフレットに寄稿した日色ともゑ論「『普通』をまっすぐに」という芸風の現れであろうか。

 自分は原作を読んでおり、そこで得た情報を補いながらの観劇であったので、物語の流れや状況はわりあい理解できたのではないかと思う。しかしながら「予習」なしで観劇に臨んでいたら、果たしてどうであっただろうか。富美子一家、撮影所、満州国の様相などが、つぎつぎ断片的に流れていく前半の展開はいささか苦しい。

 終盤近く、ベテラン編集者となった富美子が、中国人の弟子たち、監督を前に、その知識や技術を具体的に語り、編集者の手腕によって映画の様子が鮮やかに変容する描写、また自分自身への怒り、後悔を語る場面は、演劇ならではの趣向が凝らされており、見ごたえがある。前半も同様に、撮影所という趣向を活かし、もっと大胆で自在な描写が可能なのではないだろうか。

 富美子はフィルムを接ぎ、その仕事は人と人を接ぎ、過去と現在を接ぐ。「個人的な話だから」と控えめに語る富美子のことばが一冊の本になり、劇作家黒川陽子と出会い、舞台に結実した。初日の今夜、舞台が観客に接がれたことになる。作り手と観客それぞれの未来につながる何かになることを願いつつ…。

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