因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座自主企画公演 岸田國士フェスティバル『岸田國士恋愛短編集』

2021-04-10 | 日記
*岸田國士作 鵜山仁監修 公式サイトはこちら 信濃町/文学座アトリエ 文学座オフアトリエ企画のドラマティック・リーディング『SEVEN・セブン』と交互上演 16日まで
 昨年、政府によるイベントの自粛要請で延期を余儀なくされた企画が1年を経て実現した。文学座アトリエの会との連動企画作品で、岸田の短編3本を女性演出家(という書き方はもう古い?)が披露する。
 ◇『恋愛恐怖病』(小原まどか演出)
  本作は2015年えうれか第二回公演、変則的な舞台ながら、2020
 年シアターコクーンの『プレイタイム』(ネット観劇)を観劇している。実を言うと6年前の前者のみならず、後者についても岸田國士作品そのものよりも、舞台機構や創作過程、俳優の身体を見せる作りゆえか、昨年のことであるのに記憶が曖昧なのである。

 床一面を布で覆い、「静かな海を見下ろす小高い砂丘の上」とするシンプルな舞台美術だ。「なんでもない同士」である一組の若い男女(杉宮匡紀、下池沙知)が語らい、やがて別れ、女は別の男(相川春樹)のもとへ行く。決して読みやすくはなく、観念的な台詞の応酬が続く舞台を集中して見続けることも難しい作品だが、奇を衒わず、誠実に作られている。受け止めたい。

 ◇『チロルの秋』(生田みゆき演出…1,2,3,4,5,6
   2011年にリーディング公演の観劇記録があるが、舞台本編もさることながら、その後のシンポジウムの高度な内容についてゆけなかったようである。さて『恋愛恐怖病』とは対照的に、舞台にはいくつものテーブルや椅子が打ち捨てられている。第一次世界大戦が終わって2年後のヨーロッパ・チロル地方の小さなホテルの食堂で、日本人男性アマノ(小谷俊輔)と喪服を纏い、サングラスで目元を覆ったステラ(渋谷はるか)が語らう。給仕をするエリザ(渡邊真砂珠)は若い軍人と恋愛中らしい。互いに惹かれ合いながら、相手を拒絶してしまう。距離感が縮まったかと思うと、冷たい風が吹き込むように離れてしまうやりとりはぞくぞくするほどスリリングでエロティックである。彼らはテーブルや椅子の上に上がったり、渡り歩いたりなど、動きの多い演出がつけられており、それを少し残念に思った。人物が動くと、どうしても動きに目がゆく。もっと徹底して言葉が聞きたいのである。

 実を言うと、10年前にリーディング公演を観劇した折、またそのあと戯曲を読みながら、「この人たちはいったい何語で話をしているのだろう」と初手で躓いてしまったのだが、今回のアトリエでの上演を観た後戯曲を開くと、不自然な印象や違和感は消え、劇世界に強く引き込まれ、大きく一歩近づいた感覚があった。なおさら、言葉を聞きたい。

 ◇『命を弄ぶ男ふたち』(五戸真理枝演出…1
  こちらの観劇は、ヒンドゥー五千回(2008年)、東京乾電池月末劇場(2009年)、文学座若手ユニットunks公演(2014年)、そして再び東京乾電池月末劇場(2015年1月)、さらに『恋愛恐怖病』と同じく、えうれか第二回公演(2015年12月)と続き、この度の公演で6回めとなった。

 出演俳優ふたりが黙々と横木のような四角い棒を舞台中央に積み上げ、線路を模した赤い糸を上手から下手まで張って上演準備を行う。藤川三郎は白い絣の着物、釆澤靖起はシャツにズボン。サスペンダーが良く似合う。舞台美術が整い、藤川が袖に捌けると、彼自身の準備をするためだと察しが付く。釆澤はひとり横木に腰かける。いわゆる「板付」で、しかも客席にかなり意識的な視線を向けている。最前列の観客に、「ご来場ありがとうございます」、「ご家族に止められませんでしたか?」など、小声で語りかけたりなど、一種の客いじりなのだが、押しつけがましさやあざとさがなく、俳優自身もこういった板付の状態に対する気恥ずかしさやぎこちない気持ちがあると察せられ、好ましい。

 許嫁に死なれた新劇俳優の眼鏡(釆澤)と、顔に大やけどを負った研究者の繃帯(藤川)が、自分が死のうとしている状況や理由などについて喧々諤々の議論を交わす。台詞の一つひとつ、わずかな表情の変化や動作にも無駄や隙がなく、客席も大いに沸いて盛り上がる。どちらも死にたくてこの場に来たというのに、どこか冗談めかしており、あまり深刻に見えない。題名の通り、自分の命を弄んでいるようであり、思うに任せない人生のさまざま、運命に弄ばれているようにも見える。

 本公演を取り上げた機関誌「文学座通信」に、演出の五戸真理枝が「自殺者の増えている現在、この戯曲が劇場内に起こすであろう心の交流の尊さを思うと身が引き締まります」と記している。この1年、芸能人の自殺が世間を騒がせた。さまざまな憶測を呼んだが、ほんとうのことはわからない。またコロナ解雇で収入のなくなった若者、とくに女性の自殺が増加傾向にあり、早急な対策が叫ばれている。

 思いつめた彼たち彼女たちのところに、この作品のように同じ決意をした彼や彼女が現れたら、いったいどうなるだろうか。眼鏡と繃帯は互いに自分のこれまでを振り返り、議論を戦わせ、「見届け役」を志願したり、「一緒に死にましょう」と強引に迫ったり、しかし最後は踏みとどまる。「今、君を死なせるくらゐなら、僕が先へ死にますよ。ほんとですよ」。心に染み入る繃帯の台詞である。ふたりは相手の問題を解決することはできないが、少なくともこの日に死ぬことだけは免れたのだ。

 繃帯は眼鏡に言う。「どうです、その辺で一杯やつて、何れそのうち、別々にやることにしようぢやないか」。飲食店の営業時間短縮が要請されたから、こんな夜更けはとても無理だ。ならばコンビニで酒を買って外で飲んでもよかろう。しかし路上飲みにも厳しい視線が注がれているからそれも難しい。目に見えないウィルスは、人間社会を、私たちの生活、命を弄んでいるかのようである。いったいこの夏、秋、1年後はどうなっているのだろうか。目の前の舞台に集中しているときでさえ、やりきれない思いに駆られることがしばしばあり、こういう気持ちを振り払ったり躱したり、「だましだまし」折り合いをつけながら、感染に対して「こわごわ」とした日々が続くのであろう。

 繃帯と眼鏡のやりとりは、互いの力関係が目まぐるしく変化し、飽きることがない。いつか来るであろう7回目の観劇に備えて、戯曲を再読したい。

 公演が延期を余儀なくされることの辛さ、不安の中で、それでも辛抱強く備えを怠らないしたたかさ、1年後に公演が実現した喜びは、こちらが想像するよりはるかに強く激しいものであっただろう。お披露目が叶ったことを客席から祝福したい。
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