因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

Straw&Berry #4『ウロボロス』

2017-09-17 | 舞台

*河西裕介脚本・演出 公式サイトはこちら 新宿眼科画廊 19日で終了(1
 2013年、「国分寺大人倶楽部」の活動を休止した河西裕介がソロユニット「Straw&Berry」の活動を開始。2017年の今年、小西耕一、佐賀モトキ、上田祐揮、井上紗彩が新しくメンバーとなり、劇団化した。4回めの公演だが、劇団としての第一歩となる。個人ユニットやプロデュース公演などが盛んに行われている昨今においても、「劇団」を結成する、「劇団」として活動することは大いなる意義を持つものらしい。新しい一歩となる舞台だ。

 地方の高校の天文部の部室を舞台に、過去と現在が交錯し、後戻りできない人生、失ったものの大きさ、取り返しのつかない過ちから立ち直れない者の悲しみを描く1時間40分の物語だ。天文部の部員は男子3人と女子2人で、お定まりのようにいくつかの恋が生まれては消える。数年後そのうちの一組が結婚することになるが、(おそらく)事故で女性が亡くなり、その事故に関わった別の男女は結婚するものの数年後には…というのが話の大枠である。

 誰ひとり悪気があってのことではない。しかしあの事故が仲間を壊し、将来の夢を奪った。過去の出来事から逃れられず、新しい恋をして歩き始めた者もあるが、悲しみは消えない。登場人物わずか4人(厳密には5人)が織りなす、一種の無間地獄である。

 新宿眼科画廊の客席を左右正面の三方向に設置し、息苦しいほど閉塞的な空間で、あるときは久しぶりの再会に大盛り上がりの場面はけたたましいほど楽し気で、しかし事が起こったあとは互いの顔を見ることもできないほど打ちひしがれる彼らのすがたは、見ているこちらまで居たたまれない気分にさせる。

 戯曲に書いてあるのは人物の台詞であり、ト書きである。しかし実際に台詞を声に出し、立ち上がって動くうちに、「ことばにならないことばのようなもの」というのか、文字にならない空気間、俳優の息づかいが生まれてくるのではないだろうか。俳優陣は劇作家の記したことばを明確に読み取り、適切に立体化した。大きなサイコロを振る他愛もないゲームの場面など、そのあたりにたむろする若者をそのまま連れてきたようであったし、結婚したカップルが別れたということは、会話で知らされるだけだ。この二人の短い結婚生活や、破綻に至った様相などはいろいろに想像できるけれども、想像することすら痛ましく、「やめておこう」と思いとどまらせるほどのものであった。

 舞台に描かれないのなら、それを作り手の思いとしてそのまま受け取ることを、自分はこの夜、学んだのだと思う。

  最後に5人めの人物が登場することで、物語は叙情的にもなり、同時に救われようのない現実を示す。序幕部分における演技の間の取り方が見るほうにとって少々辛かったり、終幕で今の彼と過去の彼女が出会う場面の描写にもうひと息ほしかったり、考えるところはあったけれども、彼らがそこに至るまでのたくさんの物語を思いやるとともに、これからの彼らの時間がどう流れていくのかを、より強く考えさせた。しかし作り手から「無理して考えなくてもいいですよ」と言われているようにも思えて、前述のように、舞台に描かれないことをそのまま受け取ることを改めて心に覚える台風接近の雨の夜であった。

 同ユニット恒例の「おまけ演劇」では、当日リーフレットにも本編終了後の客出しの挨拶にも、「本編の余韻を著しく損なう恐れがある。余韻を楽しみたいお客様は、ご覧にならないことをおすすめします」「観ないほうがいいです」とあり、そうなると却ってみたいと思うのが人情である。本編とは似ても似つかぬ作りのコント劇で、しかし本編の余韻を損なったとはまったく感じないのは不思議というか、お見事なのである。

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