*山谷典子作 藤井ごう演出 公式サイトはこちら 下北沢・シアター711 12日まで(1)
坂を登って学校に通っていた幼馴染の安田素子(山谷典子)、柴崎敏之(亀田佳明)、藤本滋(長谷川敦央)を軸に、昭和11年から戦争を挟んで29年、34年、43年まで、戦争に翻弄されながらも自分の進む道を模索し、懸命に生きた人々の様相を描く2時間の物語だ。三人とその家族や恋人が市井の側、読売新聞、読売巨人軍、そして日本テレビを作った正力松太郎がモデルの松田正太郎(坂口芳貞)が業界を牛耳る権力の象徴を示す存在として登場する。
*これからご観劇予定の方は、このあたりからご注意くださいますよう。
昨年4月に観劇した『名も知らぬ 遠き島より』でも体験したことだが、山谷典子の戯曲に対して、自分はどうしてもところどころでつまづく。たとえば素子が兄にお茶を淹れる。彼女は急須のお茶をまず兄に一杯注いで手渡し、それから自分に注ぐ。ん?と気になるのである。2杯淹れるなら、湯呑を並べて交互に注ぐのが自然だ。素子と姪の夏子がハイタッチ風のしぐさをする。このしぐさはいつごろから日本で一般的になったのか。急な停電に暗闇の中で蝋燭を探し、火をつけようとしたところが「千歳あめ」だった。このお菓子は七五三以外でも家庭に普通にあるものなのか。喪服を着て現れた敏之に、素子は「もしかして松田さんのお葬式?」と尋ねる(敏之は松田の腹心の部下)。松田ほどの人が亡くなったのならテレビなどで盛んに報道されるのでは。またサブタイトルの「めぐりのめあて」は宮沢賢治による美しい歌曲であり、劇中でも何度か歌われる。この歌がなぜ出てくるのか、サブタイトルに使うのならば、何らかの含みや意味がほしい…等々何やら小姑のような気分になるのである。
だがプロ野球の選手としての人生に絶望した滋の手紙を素子と敏之が読み、別々の場所にいる三人の心が急激に近づき、互いの思いを受けとめようとする場面の緊迫感、求心力は思わず前のめりになってしまうほどであり、また滋の遺した娘が投げるボールを敏之がしかと受け止めるラストシーンは悲しみを湛えながらもほんとうに清々しい。これがまさに山谷戯曲の大きな魅力であり、観客に確かな手ごたえを与えるのであろう。
当日リーフレットに演出の藤井ごうは「山谷典子は不器用に問いかけ続ける。その思いに俳優陣が身体と心を費やし世界を構築する」と記す。演出家や俳優は、不器用であるゆえに誠実な劇作家を愛し、その作品に共感して献身的に取り組むのであろう。その思いは舞台から客席にひしひしと伝わってくる。それを自分は客席で受けとめたい。
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