因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座有志による自主企画公演 シアターX特別提携公演『この道はいつか来た道』

2018-01-21 | 舞台

*別役実作 藤原新平演出 公式サイトはこちら シアターX 21日で終了
 老夫婦の会話劇と言えば、同じ別役実の『虫たちの日』(中村伸郎、平木久子共演)が思い出されるが、本作はより幻想的な枯淡の味わいである。別役劇の既成概念をゆるやかに変える佳品だ。

 何より驚いたのは、本山可久子の台詞である。決して声を張ることなく、淡々と自然なのだ。別役実作品の台詞は、俳優に必要な発声や滑舌、台詞回しといったさまざまなテクニックでは到達できないところがあり、では何が必要かというと自分にもよくわからない。中村伸郎は言うなれば老境の佇まいによって、ただ舞台を横切るだけでおもしろく、椅子に腰かけて紅茶を飲む場面ですら芝居がかっていないのに、まちがいなく別役劇の世界の匂いを感じさせたことを思い出す。

 さらにどこまでがほんとうかそうでないのか、とりとめのないようで緻密に構築された台詞は、俳優の熱演が「力み」になり、いかにも「別役劇の台詞を言っています」風になるのである。それを自分のことばとして発するのは並大抵のことではないと想像する。

 冒頭、女は「この道はいつか来た道~」と歌いながら登場する。「この道はいつか来た道」という語り掛けに対し、「ああ、そうだよ」と懐かしく確かに応えることによって、歌の中の人(という言い方をしてみる)の思い出をより優しく、温かく包み込む名曲であるが、女ははたと歌うのをやめ、「そうだったかしら?」とつぶやく。そこからはじまる男との会話は、過去や現在、未来までもが行きつ戻りつしながら、ほんとうのことを明示しないまま、あたかもこの男女の死出の道行のように幕を閉じる。

 この道はいつか来た道。単によく知られた歌曲の題名にとどまらない。老いた男と女が座り込んでいるあの道は、例外なく誰もがいつか行く、老いの道なのである。

 倉本聰原作・脚本のテレビドラマに『幻の町』という作品がある(1976年北海道放送制作)。樺太からの引揚者である笠智衆と田中絹代の老夫婦は、戦前に住んでいた町の地図の作成を生きがいにしている。しかし夫婦はいくつかの町の記憶を混同していた。「あの町は幻だったのか」。老夫婦の地上の人生が終わるのはそう先ではないと予感させながら、どこか夢の物語のような幻想的な味わいのあるドラマであった。

 自分は2013年の夏にこの舞台を一度観劇した。わかったつもりでいたが、まだまだであった。今回の公演チラシには「純粋な愛を求めて、人生最後の道行き イツカキタミチ」「あの感動をも一度!!!」との惹句が躍る。この作品の「感動」は、いわゆる「感動」とは違う色合いを持つ。寂寥感というものが、これほどまでに薫り高く、柔らかなものを同時に持ちうることを身をもって知った。そして高い完成度でありながら、なお観客に新たな舞台について想像させ、期待させるのである。

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