*古川健作 日澤雄介演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場シアターイースト 19日まで (1,2,3,4,5,6)
快進撃を続ける「劇チョコ」が、東京芸術劇場シアターイーストで新作の公演を行った。
敗戦直後の朝鮮半島で暮らす日本人に何が起こったか。タイニイアリスでかの国にまつわる舞台を2本みている(1,2)が、劇チョコはどう描くのか。
「いつも通りのことではありますが、この物語は歴史的事実を参考にしたフィクションです」。当日リーフレットで劇作の古川健はこう断りをした上で、自分の母方の祖父が、1945年の敗戦まで現在の北朝鮮の首都ピョンヤンで検察官をしていたと明かしている。祖父は50年前に亡くなっており、古川は母親から祖父の話を聞いたそうである。1978年生まれの古川は、祖父を直接には知らないということになる。
劇作家が作品を書こうとするとき、何が原点になり、起爆剤となるかはさまざまであり、素材をどのように活かすかもまたさまざまであろう。身内が関わるとき、相手への思いが強いあまり、筆が空回りすることもある。今回の『追憶のアリラン』の主人公・朝鮮総督府の三席検事・豊川(佐藤誓)が、古川の祖父であると思われるが、劇作の筆致は冷静で客観的であり、身内に対する過剰な思い入れは感じられなかった。そこが本公演の成果に結びついていると考える。
これまで劇チョコの公演をみたのは下北沢・駅前劇場や、サンモールスタジオ、渋谷ルデコなどの小さな劇場であった。今回はぐっと大きな東京芸術劇場・シアターイーストである。舞台を客席が三方向からみる形だ。たっぷりした奥行きや高い天井を活かした舞台美術(鎌田朋子)で、総督府や朝鮮人民裁判所など、場面ごとに複数の場所を自然にみせる。演技エリアと客席との距離感をじゅうぶんにとっているので必要以上の圧迫感はない。それでいて舞台の熱量や「圧」は、しっかりと伝わってくる。
古川が母から聞いた祖父の体験を具体的にどの程度作品のなかに織り込んだのかはわからない。劇作にあたって、日本と朝鮮の関係について、切り口の異なる複数の文献を参考にしていることからも、自分の考えを強く主張する舞台ではない。舞台の緊張は2時間20分のあいだほとんど緩むことはないが、淡々としている。筆者も物語の展開を息をつめて見守り、人々の心象を感じとろうと前のめりになりながらも、舞台から発せられている「問い」に対する自分の答をわりあい冷静に探っていることに気づいた。これは70年前に起こった出来事だが、まちがいなくいま現在生きている自分の足元まで繋がっていることなのだ。
三席検事豊川を演じた佐藤誓がすばらしい。どの舞台に出演しても堅実で無駄のない演技をする方であるが、今回は物語の主人公でありながら強く自己主張せず、国と国が争う戦争のなかに、一人ひとりの人間が存在していたことを伝える役割をみごとに果たしていた。また首席検事役の岡本篤、四席検事の菊池豪は実年齢よりもだいぶ年上の人物を演じていたが、造形に違和感や無理はなく、台詞の言い方やたたずまいなど自然な演じ方をしていて好ましい。さらに検事局の朝鮮人事務官朴を演じた浅井伸治がたいへん誠実な演技で、ここまで日本人上司を尊敬し、自分の命を危険に晒してまで尽くした人が実際にいたのかどうかはわからないが、きれいごとやつくりごとめいたところがなく、説得力のある造形であった。
終幕、帰国した豊川が妻と「アリラン」を口ずさみながら朴に思いを馳せると、舞台奥から朴が進み出て、黙して立ちつくす。彼の表情は落ち着いて満たされているようであった。彼がいま生きているのかどうかもわからない。しかし生きていてほしい、きっと生きているはずだと、みるものの心を揺さぶるのである。
少し残念に、というよりつまづいたのは豊川の妻を演じた月影瞳の造形、とくにその台詞の言い方である。劇中人物の年齢は明示されていないが、月影の声や話し方はずいぶん若い感じがして、しっくりこなかったのである。たとえばこの印象は、『あの記憶の記録』公演で、母親を演じた女優さんの台詞を聞いたときの感覚に似ている。
カーテンコールでは1度で拍手が鳴りやまず、ダブルコールとなった。俳優は演じる人物の苦しみや悲しみを自分のからだ、声、心に叩きこみ、響かせて舞台に立つ。そのことをねぎらい、この重苦しい物語を最後まで走り抜いたことを祝福したい。拍手に応えてふたたび舞台に登場した俳優へ、観客もまた心映えを伝えたいのである。
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