因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

燐光群公演『上演されなかった三人姉妹』

2005-07-18 | 舞台
 *坂手洋二作・演出 紀伊國屋ホールにて上演
 これまでみたどの『三人姉妹』よりも刺激的な体験をした。ある国で、ドイツ人演出家によって二十年ぶりにチェーホフの『三人姉妹』が上演されようとしている劇場をテロリスト集団が占拠してしまうという設定である。いつもの紀伊國屋ホールの客席前方のほぼ半分が空席のままになっており、「ああ、不入りなのね」と思っていたら、さっきまで観客を席まで案内していたスタッフ(と思っていた。今回出番のない役者さんかもと思ったが)が、その占拠の様子を生々しく語り始める。彼らは偶然その場に居合わせてしまった観客。わたしたち本物の観客も客席後方に押し込められた人質という仕掛けなのだった。
 劇場の通路がふんだんに使われる。テロリストたちは銃を構えて通路に立ち、床に地雷のようなものを貼付けたりしている。客席の空席部分は出番待ちの俳優や人質たち(これは俳優さんが演じている)の自由空間?のようになっており、がらんとした劇場が何やら本当に占拠されてしまったかのような雰囲気を醸し出している。
 通路を使った演出はシアターコクーンで慣れている(飽きている?)はずだが、今回は実に新鮮で効果的。
 『三人姉妹』を上演しながら、俳優たちは自分のプライベートな問題、恋愛だの劇場経営だのをどんどん持ち込む。その間にもテロリストと政府との攻防は次第に切羽詰まってくる。百年前の『三人姉妹』の物語と、今世界のどこかの国で起こっているいる事件が入り交じり合いながら、チェーホフのお話はわかっているけれど、いったいこの劇場は俳優たちは、そしてわたしたち観客はどうなるのだ?という緊張感を生み出していくのである。
  そして終幕、三人姉妹たちは舞台中央に立ち、「ああ、あの楽隊のマーチ。あの人たちは去っていく」という有名な台詞を言い始める。 政府がテロリストにした約束は守られず、無血の解決はなされなかった。
 生きていきましょう。何のために生きているのか、何のために苦しむのか、それがわかったら、それがわかったら。
 聞くたびに違った印象を持つ台詞である。何のために戦うのか、なぜ争いはなくならないのか。何のために演劇は存在するのか。聞き慣れた『三人姉妹』の台詞がいつもよりも複雑で重い問いかけとなって胸に残った。(七月九日観劇)
 

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