因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団東京乾電池二本立て公演

2021-08-15 | 舞台
*公式サイトはこちら 柄本明演出 下北沢/アトリエ乾電池 13日~15日のところ18日まで追加公演が行われた。 
☆岸田國士作「ヂアロオグ・プランタニエ」
 この作品は2015年1月の同劇団・月末劇場と、同じ年の12月、えうれか第二回公演で観劇した演目だ。今回はステージ全体に白い布が被せられ、様子が全く見えない。2008年版(未見)のような小さな窓枠が隠されているのか、それともやはり文字通り仰天する、あの巨大装置が現れるのか。小声の会話すら憚られるほど静まり返った客席で開幕を待つ。

 明るくなった舞台には若い女性が二人。しかし舞台には白い布が被せられたままで、二人は布の穴から顔だけ出しいる。高さからすると座っているのだろうか。20年以上も前、シアタートラムで観劇したナターシャ・パリー主演のベケット作『しあわせな日々』を思い出した。

 上演時間は15分程度、ひとりの男性をめぐる二人の若い女性の短い会話劇である。舞台下手やや手前に由美子(林摩耶)、上手やや奥に奈緒子(松沢真祐美)が顔を出している。二人はほとんど正面を向いたまま、淡々と言葉を交わす。異様な情景である。なぜ毎回ここまで凝りに凝った舞台美術というか装置というか趣向を見せるのか。特に今回の場合、俳優は時折顔を相手に向けるくらいで、からだの動きを全くと言ってよいほど封じられている。さらに周囲は白い布ばかりで、まるで生き埋め状態の若い女性は、思いを寄せる青年の愛がどちらにあるのかという恋の妄念に身動きができないことを示しているのか。ほとんど言葉だけ、声のみによって、「あの人は母さまにこんなことを言った」、「わたしにこう言うのよ」(台詞は記憶によるもの)など、それによって相手がどう出るか、ならば次はどう出ようかと懸命な様相が、生き埋め状態ということもあって、どうかすると生き死にに関わるといってよいほど切羽詰まって見えてくるのである。なので、彼が由美子を好いているらしいと知った奈緒子が「あんなに鳥が」という台詞を言いながら、まるで昇天するかのようにだんだん高くなっていく(座った姿勢から少しずつ立ち上がったのか)終幕には、あらぬ妄想を掻き立てられたりもした。

 東京乾電池による本作の舞台で毎回凝らされる趣向は、決して奇を衒うことが目的ではなく、戯曲をより適切に舞台化するためのハードルであると思われる。なので、この趣向にどんな意味や意図があるかを考えるより、それによって俳優の演技がどのように見えてくるかが、乾電池版「ヂアロオグ・プランタニエ」の味わいであろう。

☆別役実作「ホクロ・ソーセーヂ」
 『別役実の世界』(1982年新評社刊)において、鈴木忠志は「処女作以前」と題して「純粋にオリジナルな処女作ということになれば、これは未上演だが『ホクロソーセーヂ』(ナカグロ無し)ということになる」と記し、作品のあらすじを紹介している。この幻の処女作が創作ノート、草稿とともに発見され、早稲田大学演劇博物館特別展「別役実のつくりかた―幻の処女戯曲からそよそよ族へ」で披露された。今回の公演はその初演となる。

 白い布が取り去られたあとに現れたのは、ドラマや映画でしか見られないほど古ぼけたアパートの廊下である。二つの部屋の扉があり、奥に一階からの階段らしきところが見えたり、下手に置かれた安手のソファや薬缶なども年季が感じられ、シンプルすぎる前幕に比べると、非常に手の込んだ舞台美術(血野滉 修)だ。

 このアパート「もみじ荘」で繰り広げられるドタバタ劇なのだが、住人の一人である肉屋の源八が妻を殺してソーセージにしたという、ソンドハイムの『スウィーニー・トッド』を連想させる猟奇的噂が発端である。噂を広めた住人たちは円山町々会から非人道的行為だと非難され、アパートはデモ隊に包囲され、警察まで介入する騒動に発展する。証拠を示すために源八の店から買ったソーセーヂを切り刻むと、その断面に源八の妻の顔にあったホクロが見える。題名の意味はここである。

 物語の発端であり、核となるはずの源八が最後まで登場しないところはベケットの『ゴドーを待ちながら』を想起させる構造である。円山町々会の面々もデモ隊の群衆も、「もみじ荘の住人諸君に告ぐ」といったマイクの声だけで、姿を見せない。どちらの言い分が正しいのか、町会がなぜそこまで源八をかばい、武力行使までしてもみじ荘を攻撃するのか等々は明かされず、疑問点や突っ込みどころも少なくないのだが、あっけにとられているうちに巨大な物音とともに舞台は暗転する。

 再び明るくなったアパートは廃墟となっている。そこに現れるのが安治である。そこで思い出す。そうだ、この物語の冒頭では安治がキヌ子から殺人の依頼を受けていたのだった。誰をなぜ殺すのかはわからない。この二人のやりとりと、源八をめぐるソーセーヂ騒動の結びつきも不明である。もしかするとこの二人は源八とその妻の別のすがたであり、実体のない殺人事件を作り上げ、アパートのコミュニティを壊滅させてしまうほどの暴力性を内在する人々の心を炙り出しているとも考えられる。

 二本立て公演は小一時間で終わった。観客は黙して退席し、雨の下北沢を帰路に着く。もう少し見ていたい、観劇後の気持ちを語り合いたいという気持ちが募るが、また「ヂアロオグ・プランタニエ」が上演されるなら、いったいどんな趣向だろうかと夢想したり(たぶん当たらない)、「ホクロ・ソーセーヂ」が東京乾電池の財産演目になればと期待したり(こちらは確実だろう)、少なくともあと1年以上は続きそうなこの状態を持ちこたえるために、心を鎮め、頭を柔らかくしておこう。
 
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