因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

第17回明治大学シェイクスピアプロジェクト『じゃじゃ馬ならし』

2020-11-07 | 舞台番外編
*公式サイトはこちら1,2,3,4,5)秋葉原パセラリゾーツ 7日17時、8日12時の上演を配信
 ウィリアム・シェイクスピア作 コラプターズ(学生翻訳チーム)翻訳 プロデューサー/吾妻春奈(文学部2年)演出/新田みのり(文学部4年) 監修/西沢栄治(JAM SESSION) コーディネーター/井上優 

 大学秋学期の一大イベント「明治大学シェイクスピアプロジェクト」(MSP)も、今年は無観客上演の映像配信を余儀なくされた。しかし、キャスト、スタッフの紹介はもちろん、ZOOMを使ったキャストの座談会などの配信や、希望者先着200名へのパンフレット郵送など、視聴の期待を盛り上げるべく、さまざまな工夫と配慮が凝らされており、作り手の学生方は非常に明るく元気に取り組んでおられる様子に安堵させられる。

 飲み代を払わないからと酒場から追い出され、道で眠り込んだ酔っぱらいを、通りがかった領主がふとした遊び心で目覚めた彼を貴族だと持ち上げ、芝居を見せるという劇中劇の形式を取る。酔っぱらい氏の酩酊ぶり、余裕たっぷりに悪戯を仕掛ける領主(女性が演じるが違和感なし)、芝居が打ちたくて仕方がない旅の一座など、序幕から大変な勢いである。「芝居は心を満たします」というさりげない台詞も、今は実感を以て受け止められる。

 劇中劇の旨みを味わうタイプの劇であるから、『ロミオとジュリエット』や『マクベス』などのように、物語そのものを深く考える必要性は低いのかもしれない。というのは、『じゃじゃ馬ならし』とは、このような物語である(公式サイト)。強引で自信たっぷりの男が持参金目当てに「じゃじゃ馬娘」をあの手この手で調教して自分好みの妻にする。単純に言えば男尊女卑の極みであり、女子受験生への不当な扱いが明らかになった医科大学の入試問題、職場における女性管理職の割合の低さ、2019年の世界経済フォーラム男女格差報告において153か国中121位であったこと、「女性はいくらでも嘘をつく」という某与党女性議員の発言をめぐる騒動など、ジェンダーにまつわる事項は枚挙にいとまがない。今のいま、しかもこのところプロデューサーも演出も女子学生がつとめ続けているMSPで本作を上演するのはなぜかと困惑したことは否めない。

 この作品を初めて観劇したのは80年代の終り、シェイクスピア・シアターの舞台であったと記憶する(出口典雄演出)。普段着でテンポよく演じられるシェイクスピア劇に圧倒されながらも、その内容については違和感を持った。あれから軽く30年以上経過した現在であってもその感覚は変わらず、違和感どころか不快感すら覚える箇所もある。自分の感覚がおかしいのか、このような気持ちを本作観劇に持ち込むのは野暮であり、もっと鷹揚に楽しむものであるのか。

 たとえば『ヴェニスの商人』にはあからさまな人種差別が描かれている。しかしそれを補って余りある感興が得られるから、本作に対して自分なりの肯定感を持てる。残念ながら今時点で『じゃじゃ馬ならし』にその手応えは不確かである。おそらく公演パンフレットには、このような観客の懸念に応える作り手の意向や意図が記されていると思われるので、ここでいったん置く。

 例年公演が行われるアカデミーホールの舞台は広く、天井も高い。舞台美術も大掛かりだ。1000を超す客席もほぼ満場となる賑々しさで、それに比べるとこのたびの秋葉原パセラリゾーツは非常に小ぢんまりした舞台だ。しかし配信映像を見るかぎり、マイナス面は感じられず、むしろぐっと濃密な劇空間となり、カメラによるアップや引きによって、人物の表情の変化や細部の動きも見えて、集中して視聴することができたのである。

 学生キャストはプロ顔負けの達者な演技を披露するが、まったく嫌味に見えないのは卒業生の贔屓の引き倒しとしても、この好ましさ、気持ちよさがまずMSPの大きな魅力であろう。MSPでは終演後にキャストがアカデミーコモンのロビーに勢揃いして観客を見送ってくれるのだが、喜びと充実感に溢れる学生方の様子は舞台以上に「眼福」であり、映像配信ではそれができない。視聴した直後は、大ホールの舞台だけではなく、あのロビーで彼らに出会えたならと想像してやりきれない気持ちになった。しかし一夜明けて、視聴の記憶をたどりながら考えてみると、大ホールでの上演とは違う舞台成果を上げたこと、むろん来年はアカデミーホールでの上演が叶うことを願うけれども、中規模、小規模の劇場でのコンパクトな上演もひとつの企画として継続することも「あり」ではないだろうか。公式サイトにアップされた秋葉原パセラリゾーツのステージで満面の笑みを見せるキャストの画像を見ると、なおさらその思いが募る。リアル上演とネット配信から、さらに進んだ表現のありかが探れる予感がする。冒頭の台詞のごとく、ネット配信の芝居によって心が満たされたのみならず、さらなる期待が生まれたことが、今年のMSPの大いなる手応えとなった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 文学座公演『五十四の瞳』 | トップ | 座☆吉祥天女 第十六回公演 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台番外編」カテゴリの最新記事