因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

メジャーリーグ+庭劇団ペニノ『野鴨』

2007-11-20 | 舞台
*ヘンリック・イプセン作 タニノクロウ演出・上演台本 公式サイトはこちら シアター1010ミニシアター 30日まで
 ゲネプロ観劇から半月以上が過ぎて、本番の舞台をみる。上演パンフレットは文庫本より小さく、何と300円。タニノクロウによる作品と人物に対する考察と、出演俳優の談話などが掲載されており、稽古場風景や出演者のプロフィールすらない、極めて簡略なものである。気になっていた戯曲の翻訳については巻末に「お断り」として、複数の翻訳を参照した「笹部バージョン」(プロデューサーの笹部博司)を基に、「タニノクロウがより原作に近い形で細かく修正し、改訂した。」とのことである。こういう手法で作られた舞台をみるのはおそらく初めてだと記憶する。賛否どちらもあるだろう。昨年秋上演された庭劇団ペニノ公演『アンダーグラウンド』をみた笹部氏が、「タニノクロウに、イプセンという迷宮を彷徨わせてみよう」と思い、この企画が始まったという。そして豪華というより、どこか不思議な雰囲気のキャスティングによる舞台となった。客席数わずか90席の小さな空間だ。森林を思わせる舞台セットの中で、すぐ間近に俳優の姿を見て息づかいを感じる。稀有な体験。

 ありていに言えば、ひとつの家族が崩壊していく話である。作りようによってホームドラマにもなり、サスペンスにもなり、どろどろのメロドラマにもなるだろう。タニノの『野鴨』はそのいずれでもなく、極めて淡々としたものであった。登場人物の過去や背景も明かされない部分があって、ほんとうのところはよくわからないままだったり、理解に苦しむ人物もいる。観劇というよりは、深い森の中で登場人物たちとともに彷徨う体験をした印象である。パンフレットにエクダルの娘ヘドヴィックを演じた鎌田沙由美が自分の役について、「考えても、考えてもわかりません」「わたしにヘドヴィックが演じられるのだろうか」と述べている。この不安は客席の自分の感覚に繋がるものがある。自分にはこの作品が理解できるだろうか。どこからこの世界へ切り込んでいけばいいのか。人々はすぐ目の前にいるのにその心がつかみきれないもどかしさと、当たり前だが客席にいてはどうすることもできない重たい結末がずしりとのしかかってくる。

 タニノの上演台本の台詞はいかにも翻訳調の言い回しではなく、自然な会話に近づけている。言葉、台詞じたいは耳馴染みがよく、わかりやすい。普通に聞けるやりとり。だからこそたったひとことが人の心をかき乱し、みるみるうちに家庭が壊れていくさまが、ただごとではない緊迫感と現実味をもって迫ってくるのである。デヴィッド・ルヴォー演出の『ヘッダ・ガブラー』や『エリーダ 海の夫人』よりも、イプセンの世界が近くに感じられたと言ってよいだろう。そういう意味では自分にとって大きなプラスである。しかし人々の心の奥底まで理解することはかなわず、深い森の中に迷い込み、取り残されたような不安と悲しみに襲われる。激しいマイナス。結局プラスマイナスゼロであることの明確な自覚が今回の『野鴨』も最も大いなる収穫であったということだろう。

 

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