因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団1980 第69回公演『夕食の前に』

2019-07-17 | 舞台

*ヤーセル・アブー=シャクラ作 鵜戸聡翻訳 小林七緒演出 公式サイトはこちら 下高井戸/HTSスタジオ 21日まで 第69回公演(1
 
今なお紛争が続く中東のシリアの首都ダマスカス出身の詩人ヤーセル・アブー=シャクラによる本作は、2015年「紛争地域からの演劇シリーズ7」(国際演劇協会日本センター×東京芸術劇場共催)でリーディング上演され、このたび流山児★事務所の小林七緒を演出に迎えて、日本初の本格的な舞台化の運びとなった。

 舞台に作られているのはアパートの二部屋であろうか。下手側はベッド、クローゼットなどきれいに整頓されているが、上手側は飲み物の空き缶や紙くず、服などが散らかっている。そのさらに右側の一段高いところにクラブのDJスペースらしき装置が据えられている。登場人物は母親(上野裕子)、その息子ナーセル(神原弘之)、DJ(大田怜治)である。

 当日リーフレットには、劇作家のメッセージ、劇中の会話に登場する俳優や詩人、劇作家やテロリストなどの解説が掲載されている。前者からは熱く切実な訴えを、後者からは量的に開演前の短い時間で把握するには困難な情報を与えられ、身構えながらの観劇となった。

 見どころは、その構成である。母親が恐ろしく散らかった息子の部屋を掃除しはじめ、しばらくすると息子が帰宅する。部屋の乱雑ぶりへの小言とその応酬など短いやりとりののち、母親は「夕食の支度をする」と下手に行き、息子は「腹ぺこだったんだ」と安堵の笑顔を見せる。やがて母親がグラスと皿(どちらも何も入っていない)を乗せた盆を持って登場し、母子が舞台前面のテーブルについたところでDJが奇妙な音楽をかける。と、母子はその場面までを逆にたどる動きを始め、音楽が止まったところからまた会話がはじまる。しかしそのやりとりは直前のものより長くなっている。母と息子、そしてDJも加わってこのパターンが繰り返され、そのたびに母子の対話は激しく、複雑に変容する。題名の「夕食の前に」の会話が執拗に繰り返されるのである。

 DJの音楽操作によって否応なく会話の腰を折られ、何度も遡ったやりとりをなかば強要される母子の様相は奇妙を通り越して病的である。DJが独裁政権を象徴するものなのか、暴力的な支配が長く続いたために、この母子はもはや自分の意志で行動することができなくなっているのか。からっぽのグラスと皿は、餓死の危険に瀕しているシリアの人々の現実を投影しているとも思われ、息子が演劇を学んでいるという設定があり、後半からは彼が作る演劇が母とDJによって「上演」される。いわゆる「メタ演劇」の構造なのだが、生命が脅かされるほどの厳しい日常における演劇について、否応なく考えさせる一面も持つ。

 劇作家の思いの丈は察するにあまりあるものがあり、「見どころ」などという言い方が憚られる。俳優の演技の熱量も非常に高く、圧倒的な迫力に溢れる舞台だが、作り手側の思いの強さ、熱さにこちらの感覚が追いついていかないところが多々あり、確かに受け止められたという手応えには至らなかった。中東のリアルを、今の日本の現実と感じ取ること。10日後の『朝のライラック』に向かうハードルであろう。

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