因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

「下北沢ウェーブ2018」 より東京夜光『裸足の思い出』

2018-02-10 | 舞台

下北沢演劇祭の若手支援企画「下北沢ウェーブ2018」 川名幸宏(1,2,3作・演出 公式サイトはこちら 下北沢/小劇場楽園 11日で終了 
 大学時代から演劇活動を続け、紆余曲折を経てあらたに新しい劇団を旗揚げした最初の公演である。川名幸宏演出のこれまでの舞台についての記事を読み返すと、あともう少し、もっとこうすれば…といった記述が少なくない。今回の舞台は、それらのほとんどをクリアするものであり、新しい一歩を確実に力強く踏み出したことを実感させるものであった。

 死のうとしてある場所にやってきた人々が、互いの事情と思惑を曝け出し、共有するうちに、「死にたい」と思い詰めるまでに切羽詰まった心の奥底にあった、「生きたい」という願いにたどり着く、あるいは取り戻すまでの物語である。

 どこかの地方都市。新幹線が通ることを夢見て古い橋の架け替え工事が始まったが、少人数で切り盛りしている地元の施工業者は、手不足や資金繰りに苦しみ、ストレスのあまり姿を消す社員が出て、気弱な社長は倒れんばかり。踏みとどまっている中堅社員も退職願を忍ばせている。

 人々の希望の象徴である一方で自殺の名所でもあり、悲しい言い伝えのある橋のもとに何かの順番待ちをしに、一人ふたりと吸い寄せられてくる。前述の施工業者の社員や社長、土木作業員、橋に関わる人々の心労を救えなかった罪悪感に悩む医師、その夫、そして一見悩みのなさそうな女性。

 世知辛い現実の一面に、民俗信仰や言い伝え風の幻想的な要素が加わって、不思議な雰囲気の舞台になった。人々は自ら命を絶つためにキャンセル待ちの整理券を持っている。そして「あなたよりも私の方が辛い」あるいは、「私の方が死ぬにふさわしい」、つまり生きている価値が低いと主張して順番争いをはじめる。

 人は自分が生きる意味、生き甲斐を求める。しかし絶望に追いやられたとき、それは「死に甲斐」に転化してしまう。自分は生きていても仕方がない。けれど自分が死ぬことで助かる人がいれば、自分の人生には意味があった、死に甲斐=生き甲斐であることがあぶりだされてくるのである。

 個々の人物の造形にやや凡庸なところが散見したり、伝説的な部分を象徴する人物を置くことが、舞台のバランスとして的確であったか、また「裸足の思い出」という題名に、もう一工夫ほしいことなど、多少のつまづきは否めない。
 しかし劇作家、演出家、俳優として互いの資質や方向性をよく知るもの同士の安定感が、それぞれの立ち位置で新境地を開かんと挑戦する姿勢に結びつき、川名が演出助手を務めていた経験値がさまざまな面に活かされたことが伝わる舞台であった。

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