因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

green flowers vol.19 『かんかんじいちゃん』

2018-02-08 | 舞台

*イトキチ作 内藤裕子演出 公式サイトはこちら第28回下北沢演劇祭参加作品 下北沢/シアター711 12日で終了
 座付作家イトキチによる冠婚葬祭シリーズ(「そう、みじかよ」(未見。残念!)、2014年『こんこんと、』、2015年『さい、なげられて』 )第4弾にして最終章のテーマは「冠」。
 昔からある町の銭湯「福の湯」が舞台である。孫たちから「かんかんじいちゃん」と呼ばれている先代は高齢で臥せっており、50代の長男が跡を継いだ。教師をしている次男、スーパーに勤める三男、長男の息子と娘、住み込みのバイト、常連客などが織りなす1時間40分の物語だ。

 スーパー銭湯に押され、古い銭湯の経営は厳しい。どうすれば巻き返せるか、人々の奮闘ぶりを描けばおもしろい舞台になりそうだ。しかし作者はそうせずに、コミュニケーションを拒絶しているかのような長男の息子がいつのまにか番台に馴染んでいたり、次男の妻が潔癖症で、子どもを銭湯に連れてきたがらなかったり、次男の学校で「ハーフ成人式」が問題になったりといったことを、あまり強調することなく、さりげなく示す。「これがテーマだ」と大上段に振りかぶることなく、あくまで日常生活の会話のトーンを崩さないのがグリフラの大切な個性のひとつであろう。ただ舞台を見終わって、今回は何を見たのかと振り返ったとき、「核」や「肝」がどこにあったのか、作者はもっと書きたいことがあったのではないかと考えあぐめいてしまうのである。「かんかんじいちゃん」は最後まで登場しない。これは『こんこんと、』でも示された作劇の工夫のひとつである。だが今回それが功を奏していたか、むずかしい。

 常連の客演陣はさすがの安定感である。適材適所の配役に、どれひとつとしてパターン的な人物がいない。俳優の年回りからして、長男、次男、三男はもう決まりである。なのに類似の印象がない。これは驚くべきことだ。劇作、演出、そして演者相互の信頼とともに、舞台に対する意欲、挑戦の心意気あってのことだろう。今回はさらに若手俳優が、グリフラの舞台を的確に捉え、自分の役をその中に自然に存在させることに努めている様子がうかがわれ、大変好ましく今後への期待を抱かせるものであった。

 物語終盤、若い男性客が訪れる。はじめての客らしい。しかしラストシーンで彼は福の湯の新しいバイトになっており、実は子どものころ…という流れになる。「そうだったねえ」「あれ嬉しかったなあ」と、過去の思い出を振り返るやりとりなのだが、まったく説明台詞に聞こえず、福の湯が再会の場であることが客席から見ても嬉しいのだ。わずか1時間35分を客席から見ていただけなのに、こうしていつのまにかご近所さんのように幸せを分かち合えた。グリフラの素敵なところをまた改めて実感することができたのである。

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