因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

二兎社公演43『私たちは何も知らない』

2019-12-04 | 舞台

*永井愛作・演出 公式サイトはこちら
東京芸術劇場シアターウェストは22日まで 28日亀戸文化センターカメリアホール 年明けから兵庫、松本、三重、豊橋、滋賀、愛知を巡演、2月9日石川県・能登演劇堂まで1,2,3,4,5,6,7,8,9 
 2017年『ザ・空気』、翌2018年『ザ・空気 ver.2誰も書いてはならぬ
と、放送、出版と政治の軋轢、言論の自由について、見えない「空気」という権力に抗う人々の様相を描いた永井愛が今回挑んだのは、「空気を読まない女たちがマジで議論した『青鞜』編集部の日々」(公演チラシより)である。まだ女性に参政権がなく、職業の選択肢は限られ、恋愛も結婚も自由にできなかった明治末から大正にかけて、日本初の女性による文芸誌『青鞜』を創刊した女性たちを描いた群像劇だ。

 NHK朝の連続テレビ小説『てっぱん』で主人公の親友の爽やかな女子大生、同BS『赤ひげ』では一転、やさぐれた女囚役で驚かされた朝倉あきが平塚らいてう、同朝ドラ『ひよっこ』で、成績優秀の仏頂面が職場が閉鎖される日に一転、「ここが好きなんだ」と感情を溢れさせる少女の好演で、見る者の胸を締めつけた藤野涼子が伊藤野枝を演じる。舞台を見るのはこれが初めてだ。朝倉は『書く女』(2016年の再演)から二兎社2度めの参加、藤野は今回が初参加、初舞台とのこと。

 作り込まれた日本家屋、当時のこまごまとした家具調度の揃った舞台美術に、女性たちは着物に下駄や草履との想像は、開幕から見事に裏切られた。舞台には机と椅子、後方には壁が作られ、斜めに切り取られた通路のようなところを女性たちが駆け下りたり、上ったり、別の場所にいる女性が顔を出したりする。女性たちは皆現在の洋服とヘアスタイルでのびのびと演じている。らいてうは白いシャツに黒のロングスカートですっきりと洗練された雰囲気、野枝はチェックのシャツにジーンズと、素朴である。同時代の人々を描いた宮本研の『ブルーストッキングの女たち』や『美しきものの伝説』、あるいは木下順二の『冬の時代』があるが、作品とは、「どの時代について書いたか」だけでなく、「どの時代にあって書いたか」がより重要であると思わさせる。本作は、当時の女性たちの不自由で困難な人生を描きつつ、自由に生きているはずの私たちに呼びかけ、問いかける舞台である。

 折込されている本作の<用語解説>には、当時の人物や事件、劇中の台詞などがA4両面に渡ってびっしりと記され、開幕前の暗い客席(暗すぎるのでは?)では、ざっと目を通すことも難しい。舞台で繰り広げられることも、中高の社会科や日本史の教科書程度の知識では到底太刀打ちできない内容続々で、まさに「私は何も知らない」と愕然とする。特に後半はたくさんの情報が盛り込まれた台詞のやりとりが続き、集中して聴きとることができなかった。

 制約の多い時代にあって、いや多いからこそであろうか、女性たちは力強く、自由恋愛、結婚せずに子を産み、また新しい人へ走ったり、世間を騒がせる事件を起こしたりと、実に天晴である。

 逆風にめげず意志を貫いた見事な女性たちの物語に終始せず、挫折や変容、辛い最期を冷徹と感じられるほど突き放した筆致で示す終幕にドキリとさせられる。ラストシーン、舞台に立ち尽くすらいてうは、今を生きる女性のひとりである。空気を読まず、忖度せずあるときは正面から闘い、あるときは相手を裏から出し抜き、戦争を経て生き残った女性たちの裔である、ひとりの女性。空気を読むことを余儀なくされる現代において、彼女はどう生きていくのか。

 後味のすっきりしない終幕の印象は、作り手にとっては意図したことであろうし、自分にとっては不勉強を思い知らされるためだ。開幕したばかりの舞台。これから数か月のあいだにどんどん変化し、もっと力強く鋭くなるだろう。

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