因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

鵺的第7回公演『この世の楽園』

2013-10-24 | 舞台

*高木登作・演出 公式サイトはこちら スペース雑遊 11月3日まで (1,2,3,4,5,6,7
 本作は2005年、高木登が当時在籍していた劇団の公演において『グランデリニア』のタイトルで初演された。したがって今回の『この世の楽園』は改題改訂の再演ということになる。
 筆者がはじめて高木登の作品を観劇したのは2009年夏、鵺的第1回公演『暗黒地帯』で、ベースとなった『グランデリニア』の舞台は未見、DVDにて視聴した。

 どこかの海辺の町。リゾートホテルのテラスに3組の男女が登場する。
 浮気をして家出した妻とその夫(渡辺詩子、成川知也)、彼の学生時代か仕事の先輩と思しき年上の夫婦(中田顕史郎、佐々木なふみ)、常軌を逸したDV男と卑屈なまでに服従する女の若いカップル(井上幸太郎、とみやまあゆみ)。そして配役表にはただ「青年」と書かれただけの男(酒巻誉洋)。
 夫は妻と別れたくない。ふたりだけでは「言った言わないになるから」と先輩夫婦に仲裁を頼み、住まいを離れたこのホテルに話し合いの場を設けたのだ。頼りにされた夫婦はいっけん仲むつまじく落ち着いた風情で登場するがたちまち諍いはじめ、人の仲裁どころかすっかり壊れ切った夫婦関係を露呈させる。

 開幕したばかりの公演である。ぎりぎりのところまでの記述となるが、物語は幕開けから男女3組の最悪最低の様相を容赦なく提示し、その様子をホテルのベランダからみていたという青年(酒巻)が女たちに、「あなたがたのだんなさんには何の価値もない。だから無きものにしてあげます。そのことを理解してほしい」と持ちかけて第二の展開をみせる。
 登場している人々はもちろん、ステージを三方向から囲む観客も否応なくこの流れに巻き込まれ、逃げ出すことも目をそらすこともできない80分である。

 巨大地震も津波も竜巻も怖い。不安定な雇用やさきゆきの暗い経済状況も不安を募らせる。けれどもっとも怖いのは、というより嫌で嫌でたまらないのは目の前にいるあの男だ。ふたりの関係はとうのむかしに破綻している。それにもかかわらず、別れられない。逃げることもできない。まさに地獄、悪夢である。
 お互いに最初は好きでいっしょになったのに暴言を吐いて手をあげ、しまいには無関心になる。男女の様相は決して特殊なものではない。どこにでもいくらでもとは言わないが、現実にある。どうしてこうなってしまうのか。個々の事情はさまざまあるが、結局彼らが生きた人間どうしだからではないだろうか。
 数日前のある新聞に、90歳の女性が20年以上も前になくなった6つ年下の優しい夫を変わらず慕っているという投書が掲載されていて、その純愛に胸が震えた。これほどの幸せは稀有であろうが、しかし夢物語ではなく現実にあることなのだ。それと同時に蛇蝎のごとく相手を嫌い、価値を否定しあう夫婦のすがたもまた現実である。
 愛しあうのも憎しみあうのも人間。ほんとうにやりきれない。

 2005年に『グランデリニア』として初演され、8年後のいま、改訂されて観客に提示された『この世の楽園』は、単純な表現をお許しいただければ、自分にとって「鵺的のもっとも好きな最新作」となった。
 過去に発表した作品を再びみつめなおし、練り上げ、問いかける。劇作家にとっては並々ならぬ思いと強い必然性があったと察する。自分は客席でそれをみるものとして、自分なりに劇作家の思いと必然性を共有できたのではないか。
 その手ごたえが、救いのない本作がもたらす光である。

 気になることもある。酒巻演じる青年は敏捷な動きをみせるが、たった一人で大の男3人をどうやって拉致したのか。事件は唐突に終わり、そのプロセスはほとんど語られないままなのもものたりない。さらに何かと話題にのぼった凶悪殺人犯の落としどころは何だろう?
 また男性が怒ったときに概して大声を出してどなり、罵詈雑言を浴びせるなどの造形である点だ。確かにすぐに怒って大声を出す男性は少なくない。しかし怒りや苛立ち、被害妄想や歪んだ求愛などを、もっと微妙で複雑な表現をみせることもあるのではないか。
 それに対して、今回暴力暴言でしかコミュニケーションのとれない男を恋人にしてしまった若い女性を演じたとみやまあゆみの造形は目を引くものであった。恋人のふるまいに耐えかねて、「彼が殺されでもしなかったら、別れられない」と、泣きながら「お願いします」と頭を下げ続ける。初演では泣き叫ぶような「お願いします」であったのが、とみやまあゆみは聞きとれないほどの声で、振り絞るようにくりかえした。またすべてが終わったあと、「すいませんでしたー」と言ってその場を立ち去る。あのひとことの台詞にはどのような演出がつけられたのだろうか。軽薄といってもよいほどのぞんざいな言い方であり、あんがいけろりとしたたかな感じもあって、どう表現してよいかわからない。こういうとき、人はこんな言い方をするものだという固定概念や思いこみをやんわりと退けるのである。

 季節はずれの台風が接近しており、それもふたつである。交通機関の乱れや客足への影響など、作り手にとっては非常に悩ましいであろう。俳優が激しい動きをする舞台だ。テーブルが壊れたり衣装が破れたりなどのアクシデント、俳優が心身を整え、テンションやモチベーションを高いレベルで保ち、毎日の本番にのぞむこともむずかしいと想像する。しかしそれらすべての妨げを乗り越え、走り抜く力が『この世の楽園』にはある。

 この記事では書き切れないところが多くあり、もっと落ち着いて書き記したい。

 さて因幡屋はこの日昼の回終演後のポストパフォーマンストークにお呼びいただきました。今回の観劇記事はトークの席で主宰の高木氏、司会進行の加瀬修一氏とお話した内容と重複するところも多々ありますが、ご寛恕くださいますよう。
 関係者のみなさま、終演後も劇場に残ってくださったお客さまにに心より御礼申し上げます。

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