因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新国立劇場『エドワード二世』

2013-10-14 | 舞台

*クリストファー・マーロウ作 河合祥一郎翻訳 森新太郎演出 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 27日まで
 森新太郎(1,1',2,3,3',4,5,5',6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17)が河合祥一郎の新訳で、イギリス・エリザベス朝演劇の代表的な作家マーロウの作品に挑む。文学座から原康義、中村彰男、昴の西本裕行、森自身が所属する演劇集団円の石住昭彦、木下浩之と、いわゆる新劇系の各劇団の実力派が顔をそろえるばかりか、蜷川幸雄演出に数多く出演しているベテランの嵯川哲郎、縦横無尽の活躍をみせる下総源太朗や大鷹明良、大谷亮介。そしてタイトルロールを演じるのは柄本祐、妃役に中村中!
 演劇をほとんどみたことのない人であっても、公演チラシにずらり並んだ出演者の顔写真をみれば、テレビドラマや映画でおなじみの俳優をみつけることができるはず。よくぞこの顔ぶれ。しかしいったいどんな舞台をつくろうとしているのか。

 天井いっぱいまで金色の壁で覆われ、正面奥が狭く開いており、人物はそこから出入りする。ときおり黄金の玉座が出てくるが、ほとんどがからっぽの何もない空間である。ときおり場面転換や空間の区切りを示す薄いカーテンが使われ(ブレヒト幕という)、重厚な舞台美術のなかで、チープなおもしろさを醸しだしている。

 主演の柄本祐は熱演、好演、快演のすべてであり、たいへんおもしろい。父親の柄本明は日本を代表する名優であり、祐は声もしぐさも表情もさすがによく似ている。しかし演技の質というか、舞台における身の処し方が父親とは大きく異なるのではないかと思われた。父上はもっと崩して素に近づけた造形をし、客席を沸かせると予想する。おもしろみ、技巧を自然な感じにみせながら、ちょっとやそっとでは真似できない境地、うっかりするとあざとくなるすれすれのところが柄本明の魅力でもあり、同時に芝居ぜんたいの感興を損ねかねない面もある。
 柄本祐は決してやりすぎに陥らない。のびのびしているようで、演出家が要求すること、作品ぜんたいのバランス、共演者との距離を的確にとらえ、賢明な演技をしていると見た。寵臣ギャヴィストン(下総源太朗。この役がまたすごい)にめろめろで治世も王妃もほったらかしのバカ殿なのだが、ときおり「この人は暗愚を装っているのでは?」と思わせるところもあって、目が離せない。

 安易な解釈や単純な人物造形が通用しない厄介な作品であるが、俳優陣は苦労しながらも大いにおもしろがっている雰囲気がある。彼らがエドワードに翻弄されたり、逆に翻弄したり右往左往するすがたはまさに壮観だ。謀略と裏切りがくりかえされるすさまじい権力抗争劇でありながら、どこかずっこけたおかしみがある。これはシェイクスピアの『リチャード三世』や『ヘンリー六世』では味わえない楽しさだ。

 気鋭の森新太郎がめったに上演されないマーロウに挑戦したのであるから、その演出についてしっかり考えたいのだが、今回は前述のように俳優陣の奮闘ぶりを堪能したために、もう少し思いだし笑いなどしながら余韻を味わっていたい。や、もしかしてこれも『エドワード二世』における森の戦略なのだろうか?

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