因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団昴公演『汚れた手』

2013-06-01 | 舞台

*ジャン・ポール・サルトル作 白井浩司翻訳 森新太郎演出(1,1',2,3,3',4,5,5',6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16)公式サイトはこちら 俳優座劇場 9日まで
 
 劇団公式サイトに出演俳優があるものに扮して作品を解説するコーナーがある。サルトルの唱える「実存主義」が非常に具体的な事例で説明されていて、とてもよく理解できた。
 さてサルトル作品の上演をみたのは、昔むかし、東京小劇場公演『恭しき娼婦』であった。その後はおそらく何もみていない。サルトルの10本の戯曲を論じた1冊の専門書だけが、この知の巨人と舞台と自分をつなぐよすがである。それとてあまりに雑な読みかたしかできていないため、申しわけなくて著作名をだせない・・・。

 観劇前に戯曲や関連書籍をあたった程度の学習は、劇場に入って舞台をみた瞬間に脆くも崩れてしまう。これはもう清々しいくらいで、この度肝を抜くような舞台美術だけでも一見の価値があるのではなかろうか。
 15分の休憩をはさんで、上演時間は3時間35分と聞かされ怖気づいたが、もう逃げられない。
 

 舞台には床から天井ちかくに届くほど巨大な階段が有無を言わせぬ重々しさでどしんと構えている。俳優は上から駆けおり、下から駆けあがり、ときには階段で立ったまま台詞を話したりもする。傾斜もかなりきつく、しかも客席からみると階段の高さが一定ではないようだ。俳優にとっては身体的にはもちろん、心理的な負荷もそうとうに高いと思われる。舞台スペースほとんどを使っている大階段は振り仰ぐように高く、威圧されているかのような恐怖も感じさせる。
 照明によって白黒にみえたり、真っ白にみえたり、大階段はもの言わぬもうひとりの登場人物のごとく舞台に存在する。駆け上った上には外の世界が広がっているのだが、そこからは同時に主人公ユゴーを抑圧し、場合によっては抹殺ししようとする者たちが容赦なく訪れる。冒頭の会話の内容を反芻する、いわば劇中劇的な構成をとった作品であるが、巨大階段によって、ユゴーのいる空間は、そこにいるユゴー自身もまた宙に浮いた存在になり、いっそう非現実的な雰囲気をかもしだす。
 冒頭でユゴーとオルガが対峙する部屋がどのようなものなのか、きちんと整えられた部屋なのか、散らかっているのか、そこに置かれた家具調度や装飾品のたぐいなどからそこに住む人々の性格や背景などを類推する余地はまったくない。観客はひたすらふたりの対話を聞くしか、劇のなかに入り込む方法はないのだ。
 非常に大胆で斬新な舞台美術である。通常、さまざまに施される趣向は戯曲の言わんとしていることをより明確に舞台上に提示したいためであるが、この大階段は、戯曲に記されたト書きの設定を拒絶し、観客に安易で賢しらな思いこみや類推をさせないための、演出家の挑戦でもあるのではないか。

 3時間35分を長く感じなかったというとそれは嘘になる。周囲には寝落ちしてしまっている人もあり、自分も途中何度か意識が遠のいた。それは前述のように、ほかに意識をもってゆけない舞台美術のために、登場人物の台詞を必死で聴かねばならないことによる。しかもその内容が、思想や哲学に政治的思惑が絡む観念的なものであり、耳で聞いてすぐに意味や意図がすっと頭に入ってくるものではなく、考えているうちにどんどん話は進んでゆく。
 戯曲を読み込み、上演を少なくとももう1回みればずっと理解は深まるかもしれないが、そうなると「頭でわかる」ために芝居をみているようでもあり、演劇をみる楽しみから遠ざかってしまう可能性もある。

 ひとつだけ納得できなかったのは、一部の登場人物の台詞を、日本のある地方のお国ことばで話させたところだ。終始緊張感みなぎる劇中においては、ぐっとくだける効果があるにはあったが、意図がわからない。きつい言い方になるが小馬鹿にされているような印象すらあった。こういうことで少しばかり笑ったとしても、作品ぜんたいを感じとる助けにはならず、かえって集中がとぎれて逆効果ではないか。

 終演後のカーテンコールは熱気に満ちたものであった。舞台に並ぶ俳優たちの表情には達成感と満足感に加え、解けきらぬ緊張と、これから千秋楽まで走り続ける覚悟が入り混じっている。さすがにスタンディングオベーションには至らなかったものの、座ったままで両手を高く掲げて拍手される方も多く、舞台を祝福する喜ばしい空気が劇場を満たした。
 疲れはあったが決して消耗はしていない。貴重な演劇体験ができたのだ。
 このつぎサルトルの舞台に会えるのがいつになるのか、それが何になるのかはわからない。しかしそのときに、今夜の『汚れた手』が、いま実感している以上に深く豊かな養いになっていることに気づくだろう。自分はサルトルという名の大階段をいままさに登ろうとしているのである。

 

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因幡屋もう6月のおしばいだ

2013-06-01 | お知らせ

 ついこのあいだ三ちゃん食堂でチーズ入りウィンナーを食べ、世田谷襤褸市の雪解け道を歩いたと思っていたら、もう6月である。
劇団昴公演『汚れた手』
 演劇集団円の森新太郎(1,1',2,3,3',4,5,5',6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16)が、劇団昴の俳優を演出し、俳優座劇場で上演する。何だかすごいなと思うのだが、ここにこだわらなくてもいいのだろう。
柿葺落六月歌舞伎
 歌舞伎座通いに勢いがついてしまって(4月5月)今月も。市川團十郎に代わって『助六由縁江戸桜』の助六を演じる海老蔵、気合いいれてがんばれ!
燐光群 創立30周年記念第二弾『帰還』(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12 そのほかえびす組劇場見聞録1,2
 初演は2011年劇団民藝で大滝秀治が主演、最後の舞台作品となったものだ。
「非戦を選ぶ演劇人の会」ピースリーディングvol.16『いま、憲法のはなし-戦争を放棄する意志-』(1,2,3
 いつもより時期の早い上演だが、改憲のうごきがきなくさいこともあって、チケットが早いペースで売れている由。ご覧になりたい方はお早め、いやもうすぐに。
*文学座公演『ガリレイの生涯』昨年夏、演劇集団円の同作品の記憶がまだ新しい。どんなガリレイに会えるのか。
シアター風姿花伝10周年プロジェクトより『帰郷』
 これも演劇集団円の公演をみたのがつい3年前。今回は新進気鋭の小川絵梨子の翻訳・演出、青年座を退団してはじめての舞台になる、シアター風姿花伝の支配人でもある那須佐代子が出演する。
劇団民藝公演『無欲の人 熊谷守一物語』(1,2,3,4,5,6
 サブタイトルにあるように、洋画家・熊谷守一とその家族の物語。豊島区立熊谷守一美術館では28周年展が行われいる。
*林光・歌の本Ⅰ~Ⅳ全曲を歌う第2回(1
 こんにゃく座歌役者の金子左千夫によるコンサート。今回はティアラこうとう・小ホールで行われる。

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