因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝『夏・南方のローマンス 神と人とのあいだ(第二部)』

2013-04-10 | 舞台

*木下順二作 丹野郁弓演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 22日まで(1,2,3,4,5
 これまでにみた木下順二の作品をを思い出してみよう。中学生のときに生徒が演じた『夕鶴』にはじまって、順不同に『審判』(劇団青年座のリーディング公演)、新劇の劇団合同公演『風浪』、つぎの2本は民藝公演『巨匠』、『沖縄』、歌舞伎をみはじめて間もないころに尾上菊五郎主演の『彦市ばなし』、その後『夕鶴』は山本安英主演のものと、坂東玉三郎と渡辺徹が共演したものもみることができた。決して多くはないが、それでも少なくもない。しかしどういうわけか親しみを感じてもっと読みこみ、観劇を続ける・・・というアクションに結びつけられなかった。それは自分の不勉強にほかならないのだが、今夜の『夏~』の初日は、こういった自分の木下順二歴や観劇にまつわる思い込みを消し去る手ごたえをもたらした。
 ガツンとやられた。まさにそういう印象である。

 敗戦から数年後の日本、ある公園で女漫才師が男の子と遊んでいる。彼女がかつてねんごろだった陸軍上等兵が、南方の国の戦犯裁判で絞首刑に処せられることになった。男の子は彼のひとり息子だ。女漫才師は意を決して彼の妻に会おうとする。戦友だった男たちも集まってきた。なぜ男は死刑を宣告され、彼らは助かったのか。

 中央に椅子らしきものがいくつか、上手にブランコがあるのでかろうじて公園らしくみえてはいるが、戦友たちが過去を回想し、女漫才師と上等兵の妻が上手と下手に座って話に聞き入るという形をとる。ひとつの空間が日本の小さな公園から、南方の島の軍本部や兵舎、裁判所に変わる。時空間を越えて展開するつくり、台詞が同時多発的に発せられる場面もあり、リアリズムの形式をとりながら、映像作品とは明らかにことなる舞台ならではの手法が示される。演出の丹野郁弓は「読めば読むほど、あらゆる演劇的手法やスタイルを駆使して描かれていることが分かる」。同時に「戦後の日本社会と日本人ありようを深く問い続けるモチーフはあくまでもリアル、これがこの作品が難点である所以だ」と記す(公演パンフレットより)。

 87年の初演をみたという大学時代の上級生の話を思い出した。「すごいベテラン級の俳優さんが兵隊Aなんて役名なんだから」。この話を自分は勘違いして受けとっており、ベテランの俳優までもが名もない役に配されるほどの超大作だと思い込んでいたのだった。

 本作に登場する人すべてに名前がない。といって別役実のように(いい意味で)無機的、記号的に配置されているのではなく、まさに名もない市民が戦争に翻弄されたこと、戦時下という特殊状況下の設定ではあるが、罪を犯すことは誰でも直面しうる問題であることを示すものとみた。人々は固有の名前を持たないだけにその存在がかえって生々しくあぶりだされるのである。

 戦犯を題材にした舞台で即座に思い起こすのは、井上ひさしの『闇に咲く花』であり、その一節を何度も読み返すのが曽野綾子の小説『地を潤すもの』である。弟が住民虐殺の戦犯として処刑された30年後、その兄がかの地を訪ねてゆく物語である。無実の罪で処刑が決まった弟が家族に残した手紙の一節。「これだけの殺戮の片づけをするためには、かなりの数の無辜の人々の死がいるのです。それらの人々を殺すことによって、報復を望んだ人々の心に、冷え冷えとした虚しさが流れるとき、我々は初めて戦いの本質を見たことになる」。

 すぐれた戯曲が長い年月を経てみごとに再演されたとき、わたしたちは「少しも古びていない」「変わらない」と評する。今回の『夏~』はまさにそのとおりであり、周囲の変化に対してゆるぎない盤石の劇世界をみせる。しかしその一方で、すぐれた戯曲というのは(などという言い方を筆者がするのは甚だおこがましく、畏れ多いのであるが)、時間の経過やみる人の精神性の変化やそのときどきの状態によって変容するものでもあるのではないだろうか。しかもより深く、広く、複雑に。

 ベテラン、中堅、若手すべてが力を結集してつくりあげた舞台、まさに劇団の財産演目である。初演のときに上等兵を演じた伊藤孝雄が旅団長を、『巨匠』でゲシュタポの兵士で初舞台を踏んだ塩田泰久が上等兵を演じている。また今回島民の女たちを演じた新人の山田志穂や平山晴加が、今後上等兵の妻や女漫才師を演じる可能性も想像して、今からわくわくしている。上演時間が決して短くないことや、内容が重苦しいために観客としては辛い面もあるが、リーディングのかたちでもっと身近に、できればもっとたびたび本作に触れる機会が生まれないだろうか。

「がんばらなくては」と思う。何に対してどうがんばるのか。今夜の観劇の記事をまとめるのはこの程度しかできなかった。これからたくさんの戯曲を読み、舞台をみること。考えること、書くこと。もっと大きく言えば、もっとがんばって生きること。
 やりきれない内容なのに、みるものに力と勇気を与える。これもまたすぐれた戯曲から得る宝なのだ。

コメント