”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2024年08月28日 22時14分52秒 | Weblog
8月28日(水) 曇

 ぎんぎんじょ

未だに上陸しない台風10号は日本列島の各地に大きな影響を与えているようです。これから日本を縦断するような状況ですでにあちこちに大きな影響を与えている訳ですが今後上陸したら更に大きな被害を与えそうでちょっと心配です。
ところで今日は表題の「ぎんぎんじょ」の話をしたいと思います。
肥前(佐賀)は戦国時代豪族の竜造寺氏が勢力を保っていました。その竜造寺氏の臣下に鍋島清房、伸昌の親子がおり、竜造寺氏の要となっていました。
竜造寺周家(ちかいえ)の妻の慶誾(けいぎん)は夫が戦死し、子の竜造寺隆信を跡継ぎとし、自分は妻を亡くしていた臣下の鍋島清房に再嫁し鍋島一族を竜造寺家から離れないように企てました。清房の子の伸昌の嫁に彦鶴を迎えました。伸昌の最初の嫁は敵対する大友氏に寝返った家の出であったため離縁していたため、若くして夫を亡くしていた彦鶴と縁組がされた訳です。まぁこの彦鶴はたいそう肝の据わった女性で「うわなり打ち」に対しても迎え撃たずに一人で対応した話が伝わっています。「うわなり打ち」とは離縁された前妻が親しい女人を語らって箒やすりこぎなどを手に後妻を襲撃して嫌がらせをすることです。この風習は平安時代からあったそうで戦国時代は特に盛んになっていたそうです。まぁこの一件に彦鶴は何も抵抗せずただ台所などが打ち壊されるのを見守り、女たちが荒らし終わったころに茶や菓子を出して接待したのです。それも3回も同じようにしたため前妻は涙を流して口惜しやと嘆いて立ち去ったそうです。この話を聞いた継母の慶誾は彦鶴に「うわなり打ち」をいたす女子は婚家を去らねばならなかった上に迎え撃たれもせずかつて己が使った台所を打ち壊すのは虚しいばかりだと言い、迎え撃ってやるのが女子の情だと叱り、これから心得ねばならぬことは「ぎんぎんじょ」じゃと言ったそうです。まぁこんな戦国時代の中での話に出て来た「ぎんぎんじょ」とはどんな意味があるのでしょうか?
「ぎんぎんじょ」は漢字で書くと「誾誾如」です。そしてこれは孔子の論語に出てくる言葉です。孔子が自分の弟子について記した言葉に
閔子弿(びんしけん)側に侍す。誾誾如也(ぎんぎんじょなり)子路、行行如也、子貢、侃侃如也(かんかんじょなり)
とあります。弟子の閔子弿は君子人で穏やかで慎み深い。子路は武骨で剛強だ。子貢は温和でいつもにこにこしていると言った意味です。
つまり誾誾如とは穏やかで慎み深いと言う意味です。なぁ慶誾尼は嫁の彦鶴におだやかで慎み深くあれと言いたかったのです。
まぁこの鍋島伸昌はのちに竜造寺家にとって代わり鍋島藩の元祖となる訳ですけど妻の彦鶴にはかなり面白い話がいくつかあります。まぁ最高の傑作は豊臣秀吉に名護屋城に呼び出された時のことでしょう。秀吉は朝鮮に出兵した時に唐津に名護屋城を作り、そこに出兵した大名の細君を呼び出す悪い癖があったようですが、彦鶴はそこで秀吉を大笑いさせる工夫をして何事もなく無事佐賀に戻ってきたのです。まぁ九州女の大胆不敵さを見せ付けた一件ですが継母の慶誾尼をも感心させたそうです。

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