”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話(ウォーキング16-09)

2016年12月11日 17時26分55秒 | 趣味

12月11日(日) 晴

良く晴れた日でした。体調も良かったので今日は織田信長発祥の清洲城に行ってきました。
清洲は織田信長の最初の居城で桶狭間の戦いに3000の手勢を引き連れて出陣した居城でした。その後信長は小牧山、岐阜、安土と居城を変えて行く訳ですが、その出発点となった清洲を歩いてみたくなった訳です。
小牧山城と同様、清洲城も日本100名城には入っていませんが近くに住んでいることだし、暇つぶしに丁度良いとぐらいにしか思っていませんでした。ところが意外と展示物や造形物も整備されていてびっくり。しかも清洲と言う所は江戸時代以前までは尾張の中心地だったと知って二度びっくり。弥生時代から集落ができていて遺跡としても価値があるところでした。

まずは大手門から再建された清洲城


もっとも清洲城には信長が居城していた頃には天守はなく、天守ができたのは信長亡き後の織田信雄によって城が整備されたようである。そんなこともあって多分日本100名城には入れられなかったのだろう。
大手門から中に入ると御嶽山の石で作られたと言う庭があります。



城の裏に周ると公園があり、そこからは清洲城の全貌が。


入城料¥300で中に入り展示物等をゆっくり観賞。清洲は信長以降の歴史として知っていたが、実はそれ以前の歴史にも興味深いものがたくさんあることを知ったのは大きな収穫でした。朝日山古墳や平安時代から室町時代にいたるまでの荘園の所有者の変遷など尾張と言う土地の中心地であったことがよくわかりました。1610年の清洲越しにより中心が名古屋に移りますがそれまでの歴史を探訪するには良い所だと思いました。

城から出るとすぐに枯山水の日本庭園があります。



その脇には茶庭に使われる添水も


これらは決して清洲城の再現とはいえませんが茶道の原典は信長が武士や商人を制御する上で取り入れたものであることを考えれば、ここにあっても良いと思ってしまう。
JRの線路を挟んで向かい側には清洲公園があり、そこには織田信長公と濃姫の銅像が並んでありました。ほんとうはどうだったのかわかりませんが濃姫の表情がやさしくおだやかで気に入りました。



2時間ほどの散策でしたが、出かけてみて良かったと思う一日でした。
そう言えば清洲城への入り口にあたるところにはなぜか季節外れの桜が満開でした。いかにも信長の居城らしく常識を打ち破る桜に信長をダブらせてしまいました。


コメント
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