”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

レイアのつぶやき

2011年08月29日 21時12分14秒 | Weblog

8月29日(月)曇時々晴

こんばんわ。今日、民主党の代表が決まったようですね。中々とらえどころのない方たちばかりで、いったいどうなるのかよくわかりません。一般庶民の僕として願うことは、増税ばかり言わずに、まず事業仕分けをきちんと実行して、かつ我々にも増税をお願いするスタンスで臨んでほしいものです。震災復興のための増税もしかたない部分もありますが、国民から巻上げる前に、政府の予算削減努力を明確にすべきだと自分は思います。悪代官さまの国にならないことを祈りたい気分です。

論語の一節に
「子、政を為すに焉(いずく)んぞ殺を用いん。子、善を欲すれば民善なり。君子の徳は風にして、小人の徳は草なり。草はこれに風を加うれば必ず偃(ふ)す。」
と言う言葉があります。多分意味は次のようなことでしょう。

政治を治めるのにどうして殺戮や法律ばかりを用いることがありましょうか。政治が善を実行すれば国民は善であるものです。君子の徳と言うのは風であって、我々庶民の徳と言うのは草のようなものです。草は風が吹けば必ず風になびいていくものです。

我々の心の奥底には孔子の説いた儒教精神が少なからずあるものです。ところが最近日本人が古代から持ってきた精神も忘れて悲惨な事件が後を絶ちません。そして事件が起こる度に法律を強化することになります。しかし法律いってんばりの社会と言うのは、法にひっかからなければ何をしても良いと言った状態を創り出し、道徳感情をますます地に落とす結果にしかならないようです。秦の始皇帝は法家を重用した結果わずか20年足らずの天下でした。劉邦の漢は儒家を重用し200年と言う長い治世を実現しました。江戸時代も儒家の流れをくむ朱子学を重用し、日本独特の武士道と言う道徳を創り出しました。文明開化の明治になってもその精神は脈々と受け継がれてきましたが、太平洋戦争と言うバカな軍人の政治の結果、日本人が脈々と受け継いできた精神そのものを否定されてしまいました。そのため道徳は教えてはいけないことになって戦後の教育は為されてきました。その結果一斗缶事件やら児童虐待やら不可解な事件が多く起こる国になってきてしまったような気がします。僕も戦後生まれで道徳教育を受けた訳ではありませんが、孔子の説く精神はわかります。今回の震災で多くの若者たちも何かで役に立ちたいと言っている姿を見せてもらいました。道徳教育を正規に受けていなくとも我々の心には善の精神がまだ宿っている訳です。今この国で一番疑問なのは政治家と官僚たちだけなのかもしれません。自分達の私利私欲や権力拡大ではなく、正義を貫いていく勇気を持って欲しいものです。

新しい政治のリーダーが決まったと言うことで、我々が期待する風を送ってもらいたいものですが、果たしてどうなのでしょうか?
レイアのつぶやきでした。それではまた。


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