”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2010年03月27日 18時02分08秒 | Weblog
3月27日(土)晴

久しぶりにヨットもゴルフもない休日です。とは言うものの、午前中は車の定期点検、午後はフィットネスクラブとやることはあるようです。それでも一日中マリーナやゴルフ場にいるのとは違い、家にいる時間はいつもよりたくさんあります。

ところで今日も最近知ったおもしろい話を。・・・と言ってもみなさんがおもしろいと思うかどうかはよくわかりません。多分つまらないと思う人が多いことでしょう。でもそんなことは意に介さず続けることにしましょう。

みなさんはお盆と言うと仏教の行事とお思いでしょうがほんとうにそうなのでしょうか。

答えはほんとうでもあり違ってもいるのです。

お釈迦様の教えでは輪廻転生、人は死ぬとまた別の物に生まれ変わると言われています。そして餓鬼道やら畜生道やら修羅道やら六道の中をさまよい続けるわけです。唯一仏様だけが極楽往生でき消滅することができると言われています。少なくともインド仏教ではそうでしたが、仏教が伝来してくる間にいろいろ変化してきます。
元々の仏教では輪廻転生ですから霊と言う物はありません。でもお盆は先祖の霊を祀る儀式です。実は先祖の霊を祀るのは儒教の考え方なのです。
儒教では霊魂の存在を肯定しています。先祖の霊魂は子孫とともにこの世に在り続け、だから祀るのです。従って墓と言う概念も元々は儒教の考え方です。
儒教の経典である礼記には「魂気は天に帰し、形魄は地に帰す」とあります。人は精神と肉体からできており、精神をつかさどるものを魂(こん)と言い肉体をつかさどるものを魄(はく)と言います。この魂と魄がひとつになっているとき人は生を営んでいると考えるわけです。そして子孫は祀りの時、香を焚いて先祖の魂を天からまねき、酒を大地にそそいで魄を呼び戻して再生させる儀式を行ったのが元々の始まりでした。
仏教が中国に伝わって、中国の古代からの思想と融合した結果、仏教の経典を書き換えた物がたくさんありました。これを疑経と言います。お盆の元となっている「盂蘭盆経(うらぼんぎょう)」は中国で庶民の行事を仏教に取り入れるために作られた疑経だ言われています。

従って答えはお盆は元々儒教の行事であり、日本に伝わった仏教は中国固有の儒教と融合したものだったと言うことです。
でも僕は輪廻転生より霊魂と形魄の考え方の方がずっと良い様な気がします。

失礼しました。あまりおもしろくありませんでしたね。でも日本の仏教にしても神道にしても、かなりの部分に中国の道教や儒教の影響を受けているようです。だから日本人は宗教感が希薄なのかもしれませんね。
それではまた。
コメント
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