”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2009年10月21日 21時08分40秒 | Weblog
10月21日(水)晴

10月は神無月と言いますが、島根県出雲地方だけは神在月と言います。出雲の八百万の神々が出かけてしまうので神無月と言い、出雲地方だけは神々が集まって来るので神在月と言うのだそうです。それではなぜ出雲に八百万の神々が集まって来るのでしょうか?日本の神々の祖神はイザナギの尊(みこと)とイザナミの尊と日本書紀では書かれています。スサノウの尊はその子供ですがスサノウの尊は母神であるイザナミの尊を慕い求め、出雲国にあると言う黄泉比良坂(よもつひらさか)、伊賦夜坂(いふやさか)に赴いた伝承があります。このことから出雲は神々のふるさとと理解されるようになったのです。
元来出雲大社は大国主神を祀った神社であったはずが、10世紀頃からスサノウの尊を祭神とするようになっていったようです。そういう意味で出雲大社と言うのは歴史的に3つの段階を経て現在にいたっていると考えられています。第一段階は弥生時代から古墳時代にかけて龍蛇神を迎えて祀っていた時代、第二段階は大化の改新の頃から平安時代初期には大国主神を祀り、平安中期以降スサノウの尊を祀るように変わって行ったと言われています。

ここからは僕の独自の解釈ですが、出雲地方は対馬海流に乗って多くの外来人(たとえば南西諸島からの縄文人や朝鮮半島からの弥生人など)が漂着した地だったので、海流に乗って南西諸島から流れ着く生命力の強い「うみへび」を祀るようになった。それが龍蛇神でした。
その後大和朝廷が全国を統一した時代には、自分達の祖先が神であったと言う神話を創り出し、東の外敵(大陸)からもっとも安全な伊勢の地に自分達祖先の天照大神を祀り、日の沈む西の外来人が流れ着く出雲の地には、数々の新しい知識(青銅の盾や矛・国造りに必要な土木建築技術)をもたらしてくれることから大国主神を祀ったと思われます。
それが遣隋使・遣唐使により大陸との交流によって出雲の重要性が失われていく中で、大和朝廷が創り出した神話に基づき八百万の神々の祖となるスサノウの尊を祀るようになったと考えられます。日本には元々文字がなかったので漢字が中国から伝来してから古代の神話が作られたと考えるのが妥当です。従って大和朝廷以前のことはほんとうにはよくわからないし、時の征服者が自分達に都合の良い様に作ったのが日本書紀・古事記です。

このように考えてくると日本人の原点はどこにあるのかはまったくわからなくなってしまいました。日本人の伝統とはと考えると常に海外の良いものを吸収して自分達を変えて行くことができるめずらしい人種なのかもしれません。

この種の話は正解がありません。そこが想像をかきたててくれるし、何かロマンを感じさせるおもしろさがあるように思います。
なんでこんな話になったのか・・・・・ですがこの辺で終わりにしておきます。
写真は神々の世界を連想して山梨の昇仙峡を掲載してみました。
コメント
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