今日も暑いです。ヨーロッパで異常に暑いと言うニュースがあったと思ったらアメリカでも暑い日が続いているそうです。日本ではエアコンがほとんどの家庭に普及してますがあっちはどうなっているんでしょうか?
さて日本古来の神様の話をしてきましたが、神道と言うのは宗教といっても経典があるわけでもなく、宇宙観や死後の世界も黄泉の国がある程度の話で、生き方の教えがあるものではなく、ほとんど我々の日常の生活を支える願いの対象でしかありません。教えや経典がない代わりに、季節の節目節目にいろいろな行事によって我々の祈りの対象になってきたので、仏教や儒教が不足していた宇宙観や生き方の教えとして組み込みやすかったと思われます。
神道行事はすでに僕らの生活の中にすっかり溶け込んでしまい、だれも神道行事だとは思っていないところがおもしろいですね。お正月のおせち・鏡餅・おとそ・門松、一年の無病息災の行事である歳旦祭、節分、ひな祭り、七夕、お盆(仏教の行事と習合)新嘗祭、七五三、初宮参りなど一年中ある行事はほとんど神道の行事です。喪中の喪に服すと言う考えも仏教ではなく神道的考えが習合した結果です。神道では穢れを嫌いますので人が死んだりして穢れると禊をしないと移ると考えられたため、喪中は他の人と接触して移すことがないようにと謹慎していたなごりが喪に服する意味なのです。喪中はがきもそのなごりです。
みなさんも神社におまいりに行く人が多いと思いますので、少し知っておくとよいことを補足します。神社には鳥居がありここをくぐって参拝に行きますが、みなさんは鳥居の真ん中を堂々と通って出入りしているんじゃないでしょうか?実は僕も最近までそうでしたが、鳥居は神様が神社から外界に行くときの通り道なので人間はなるべく脇を通って出入りするのが正しい作法だそうです。
鳥居をくぐると次は手水舎で禊として手・口を洗いますが、一般には左手、右手、次に左手の平で水を受けて口をすすぐのが作法のようです。これはイザナギの命が黄泉の国から逃げ帰ったとき身の穢れを海水で洗い流した(禊)ことから、神にお祈りする前に身を清めるために行います。ですから神社で神に祈るときは手水舎で身を清めるのが作法です。
ついでにもうひとつ、神社には必ず一対の狛犬が参道におりますが、これは世界共通かもしれませんが神域に邪気が入らないように守っているのだそうです。エジプトのスフィンクスがそのルーツとも言われています。でこの一対の獅子または狛犬は口をあけている方が「阿」口を結んでいるほうを「吽」と言いこの一対で神域を守っているということです。阿吽の呼吸などと僕らも日常よく使っていますよね。
これで神道の話は終わりとします。我々日本人は日常の祈りの対象となっている神道の神々、我々の死後の世界観や苦悩救済の対象である仏教の神、そして我々の現世における生き方の哲学である儒教の三つがうまく組み合わさって日本人の精神は構成されていると思えます。生き方の哲学となった儒教の影響の話は次回することにします。
それではまた。