”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2006年08月04日 22時43分46秒 | Weblog
8月4日(金)晴
今日も暑いです。ヨーロッパで異常に暑いと言うニュースがあったと思ったらアメリカでも暑い日が続いているそうです。日本ではエアコンがほとんどの家庭に普及してますがあっちはどうなっているんでしょうか?
さて日本古来の神様の話をしてきましたが、神道と言うのは宗教といっても経典があるわけでもなく、宇宙観や死後の世界も黄泉の国がある程度の話で、生き方の教えがあるものではなく、ほとんど我々の日常の生活を支える願いの対象でしかありません。教えや経典がない代わりに、季節の節目節目にいろいろな行事によって我々の祈りの対象になってきたので、仏教や儒教が不足していた宇宙観や生き方の教えとして組み込みやすかったと思われます。
神道行事はすでに僕らの生活の中にすっかり溶け込んでしまい、だれも神道行事だとは思っていないところがおもしろいですね。お正月のおせち・鏡餅・おとそ・門松、一年の無病息災の行事である歳旦祭、節分、ひな祭り、七夕、お盆(仏教の行事と習合)新嘗祭、七五三、初宮参りなど一年中ある行事はほとんど神道の行事です。喪中の喪に服すと言う考えも仏教ではなく神道的考えが習合した結果です。神道では穢れを嫌いますので人が死んだりして穢れると禊をしないと移ると考えられたため、喪中は他の人と接触して移すことがないようにと謹慎していたなごりが喪に服する意味なのです。喪中はがきもそのなごりです。

みなさんも神社におまいりに行く人が多いと思いますので、少し知っておくとよいことを補足します。神社には鳥居がありここをくぐって参拝に行きますが、みなさんは鳥居の真ん中を堂々と通って出入りしているんじゃないでしょうか?実は僕も最近までそうでしたが、鳥居は神様が神社から外界に行くときの通り道なので人間はなるべく脇を通って出入りするのが正しい作法だそうです。
鳥居をくぐると次は手水舎で禊として手・口を洗いますが、一般には左手、右手、次に左手の平で水を受けて口をすすぐのが作法のようです。これはイザナギの命が黄泉の国から逃げ帰ったとき身の穢れを海水で洗い流した(禊)ことから、神にお祈りする前に身を清めるために行います。ですから神社で神に祈るときは手水舎で身を清めるのが作法です。
ついでにもうひとつ、神社には必ず一対の狛犬が参道におりますが、これは世界共通かもしれませんが神域に邪気が入らないように守っているのだそうです。エジプトのスフィンクスがそのルーツとも言われています。でこの一対の獅子または狛犬は口をあけている方が「阿」口を結んでいるほうを「吽」と言いこの一対で神域を守っているということです。阿吽の呼吸などと僕らも日常よく使っていますよね。
これで神道の話は終わりとします。我々日本人は日常の祈りの対象となっている神道の神々、我々の死後の世界観や苦悩救済の対象である仏教の神、そして我々の現世における生き方の哲学である儒教の三つがうまく組み合わさって日本人の精神は構成されていると思えます。生き方の哲学となった儒教の影響の話は次回することにします。
それではまた。
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しんさんのよもやま話

2006年08月04日 09時35分22秒 | Weblog

8月3日(木)晴
暑い一日でした。やっと夏って感じですね。なにか体が重く感じるのは、太りすぎがここに来て応えるようになったのかもしれません。やはり体の動かしやすい季節からきちっと節制しておくべきでした。世の中では「勝って兜の緒を締めよ」とかよくいったものです。体調の良いときほど節制すべきなのですね。また飲んで午前様になってしまったので朝から書き出しています。

さて日本人の心を取り戻そうと言うところから、日本人の宗教観を知る話になり、それが仏教・神道・儒教の習合思想であることからそれぞれの根本を知ろうと言う話になって仏教の話が仏像の話になってしまいました。もう風が吹けば桶屋が儲かる話になってしまいました。でもめげずに神道の話に入っていきます。

日本古来の神道の神様は至る所にいるのですが、大きく分けると二つの系統があるようです。元々それぞれの地域に氏神様を祀っていたのが始まりだと思うのですが、最初に日本を統一した大和朝廷の神様達が「天つ神」と呼ばれるようになります。と言うか勝てば官軍で歴史をそのようにしてしまったと言うことですが、イザナギ、イザナミから始まってその子の天照大神を祖先とする天皇家の神々を言います。日本の神話に出てくる高天原に住んでいる神々を「天つ神」と言い、天皇家の祖先と言うことになります。まぁ歴史とはそう言うものかもしれません。
一方地方に勢力を持つ豪族の氏神様は「天つ神」に征服されるていくのですが、いくつかは地方の「国つ神」として残っていきます。その代表格は出雲大社の大国主命ということになります。
これらの神話の話をし始めるときりがなくなりそうなので、ここでは神社の種類と祀られているものを紹介してみたいと思います。
「お伊勢まいり」で有名な伊勢神宮は天皇家の祖先である「天照大神」を祀ってあるのですね。だから正月に天皇や総理大臣が初詣に行く神道の正統派の神社です。伊勢神宮から分家した神社には熱田神宮・明治神宮・・などがあります。
一方出雲大社などは「大国主命」を祀った神社です。大国主命は因幡のしろうさぎで我々にはなじみの深い神様ですが、一般的には地方の豪族の氏神様である「国つ神」の代名詞のようなものだと思います。
神話の時代からの神社以外にも日本人はいろいろな神様をうみだしてきました。それが「お稲荷さん」「八幡さん」「天神さん」など我々になじみの深い神社です。
「天神さん」は元々は違うのですが平安時代に菅原道真の霊を祀る神社になり、現在も学問の神様として多くの受験生がお参りしていますよね。でも元々は「天つ神」として祀られていたようです。菅原道真は平安時代に右大臣までなった実力者ですが敵対する左大臣の藤原時平の陰謀により九州大宰府に左遷されました。道真の死後京では疫病がはやったり、雷による火災が相次いだことから菅原道真の怨霊が災いをもたらしていると言われその霊を鎮めるため北野天満宮が建立されたと言われています。この時なぜか道真の家があった桑原と言う所だけは雷の被害に遭わなかったことから災厄を逃れるときに「くわばら、くわばら」と言うようになったそうです。
「お稲荷さん」は読んで字の通り元々は稲の神様すなわち五穀豊穣をつかさどる神様でしたが農民出身の商工業者が商売繁盛を願うようになったことから現在のような商売繁盛の神様になったと言われています。ちなみに稲荷神社ときつねの関係は狐は昔田んぼの神様の使いとされていたことからのようです。日本で一番数の多い神社で京都の伏見稲荷が総本社になります。
「八幡さん」は源氏の氏神ですね。源義家が京都の石清水八幡宮の前で元服し、八幡太郎と名乗ったことから源氏の守り神であり武道の神様とされています。ただ元々は大分の宇佐八幡宮が発祥で宇佐地方の海の氏神だったそうです。八幡宮は全国で2番目に多い神社で鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の石清水八幡宮、大分の宇佐八幡宮などが有名です。
この他にもいろいろな氏神がありますが、厳島神社はご存知平家の氏神ですし、春日神社は藤原氏の氏神です。

明治になって国教を神道としたため、あまり歴史のないいいかげんな神社がいっぱいできたのと日本人が歴史の中で習合してきたものを強引に分離させて神社を独立させたことがよくわからなくしてしまったような気がします。いい例が靖国神社です。この神社は明治時代に作られた軍人の霊を祀った神社で、歴史もなければ云われもない神社であってなんであんなに小泉さんが固執するのかよくわからないところもあります。要は日本の伝統的な神社とはちょっと違う神社なのですがほとんどの日本人は混同してしまっています。伊勢神宮と靖国神社を混同して神道を論じるのは仏教とオーム真理教をいっしょにして論じるのと大してかわりないような気がします。長い歴史の中では本来のものからかけ離れたものが出てくるのが世の常ですが根本のものの考え方を理解しておくことが政治でもビジネスでも非常に重要なことだと思います。

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