「雲耶(くもか) 山耶(やまか) 呉耶(ごか) 越(えつ)か
水天 髣髴(ほうふつ) 青(せい) 一髪(いっぱつ)
萬里(ばんり) 舟(ふね)を 泊(はく)す 天草の洋(なだ)
煙は 「ほうそう」(注:舟の窗(まど))に よこたわって 日 漸(ようや)く没す
瞥見(べっけん)す 大魚の 波間(はかん)に 跳(おど)るを
太白(たいはく注:金星、宵の明星)船に あたって 月似(つきよ)りも 明らかなり」
この詩を刻んだ石碑が、水俣の「湯の児温泉」の海岸べりにあったのではないか。
水俣病が起こる以前は、この江戸時代の頼 山陽の詩にもあるように、不知火海、天草の洋は、名実とも、まことに美しかったと言えよう。
これを詩吟で練習を始めた。
水天 髣髴(ほうふつ) 青(せい) 一髪(いっぱつ)
萬里(ばんり) 舟(ふね)を 泊(はく)す 天草の洋(なだ)
煙は 「ほうそう」(注:舟の窗(まど))に よこたわって 日 漸(ようや)く没す
瞥見(べっけん)す 大魚の 波間(はかん)に 跳(おど)るを
太白(たいはく注:金星、宵の明星)船に あたって 月似(つきよ)りも 明らかなり」
この詩を刻んだ石碑が、水俣の「湯の児温泉」の海岸べりにあったのではないか。
水俣病が起こる以前は、この江戸時代の頼 山陽の詩にもあるように、不知火海、天草の洋は、名実とも、まことに美しかったと言えよう。
これを詩吟で練習を始めた。