ヤマカンさんの言う「アニメ・イズ・デッド」とはなんだったのか

先日、(元?)アニメ監督のヤマカンさんが(また)アレげな記事を上げているのを見かけてしまったんですけども。

僕と京都アニメと、「夢と狂気の12年」と「ぼくたちの失敗」 | 山本寛公式ブログ

上記記事の冒頭に、ヤマカンさんが2016年に講演した動画が貼られているんですけども、この中でヤマカンさんは「アニメ・イズ・デッド」、アニメは死んだと主張しています。1時間もある動画なので、ヤマカンさんの主張内容をかいつまんで説明しますと、ざっと以下のような感じ。

  • 2007年から2011年にかけて、段階的にアニメは死んでいった
  • 2007年、アニメ業界はネットの荒しに屈した
  • 2008年にもその余波があった
  • 2009年、京アニ作品『けいおん!』が大ヒット。「日常系」ブームの火付け役にもなる
    • これにより、アニメにもポストモダニズムの波が一気に押し寄せてしまった
      • ここで言うポストモダンとは、「なんでもありでいいじゃん」「深く考えなくていいじゃん」「萌えがあればいいじゃん」みたいな態度を指す模様
  • 2011年、東日本大震災が発生。未曾有の大惨事を目の当たりにし、アニメの「日常系」ブームも終わるのではと思ったが、むしろ現実逃避的な傾向が加速した
    • 客にぬかづく、思想無き作品が増殖していった
    • ヤマカン自身が望む様な作品(思想的、哲学的なテーマが打ち出された作品)が作れない時代になってしまった

これをもって、「アニメは死んだ」って言ってるワケですね。なお、2011年以降もこの傾向は変わっていないんだそうです。そういや、2011年ってヤマカン監督作品『フラクタル』が放映された年でもありますね。『フラクタル』を巡ってもヤマカン批判が起きていた記憶がありますし、内ゲバ的な騒動も起きてましたね、なんか。

……こうしてみると、「アニメは死んだ」って大上段から言っているわりに、めっちゃヤマカンさんの個人的な視点から見た話ですねコレ。

ただ、今回のヤマカンさんの記事を読んでさらに驚くのは、ヤマカンを降板させて以降の京アニが、ネットの狂気も批判することなく受け入れ、視聴者におもねったなんの思想も無い作品を作り続けたことが、京アニ放火事件を引き起こしたのだ、これは「代償」なのだ、と主張しているところ。

ネットの「狂気」に対して、ヤマカンさんが相当なまでに批判的なのはまだ理解できるんです、今だってヒドいままだし。京アニ放火事件を巡っても、いろんな流言飛語が飛び交ってますしね。アニメ作品に対して炎上騒動が起き、その余波で製作サイドの人たちが心を削られるなんていう事例も珍しくなく、そこに対して憤るのはわかる。

ただ、このネットの「狂気」と、京アニ作品や日常系ブームはなんの関係も無いワケです。炎上騒動が起きるのはアニメの話題に限った話じゃ無いし、ネットを飛び出して現実の世界で危害を加えるような事件も、アニメ関係以外で以前から起きているワケです。ブログ界隈だったら、Hagexさん刺殺事件とか記憶に新しいですね(⇒ 福岡IT講師殺害事件 - Wikipedia)。

マスコミに対して脅迫状が送りつけられる、なんて話は昔からあることで、個人ではなく組織的な襲撃事件もありましたね(⇒ 赤報隊事件 - Wikipedia)。襲撃された人たちが、読者におもねるような記事を書いていたかといえば、むしろ逆なワケです。ヤマカンさんは、さらっと京アニの作品づくりに対する態度の先にこの放火事件が起きた、と主張してますけど、ちょっと考えればなんの因果関係も無いことがわかります。

身も蓋もない見方をしてしまうと、ヤマカンさんは「自分がヒットメーカーになれなかった理由」を探しているようにしか見えないんですね。その矛先が、「自分を降板させて、日常系ブームの発端を作った京アニ」と「なにかにつけ自分をバッシングする一部のオタク」に向けられている。なんかヤマカンさん、「日常系とか萌え路線のアニメの流行は予見していたし、そういうの作れば売れるのはわかってた。でも俺はそれじゃアニメはダメになると思ったから、その流れに対峙する道を選んだ」みたいな、売れないまま年を重ねていろいろ拗らせちゃったクリエーターのテンプレみたいな状態になっちゃってる気がするんですよね……。

それに京アニがここまでヒットを連発するスタジオになったのってさ、客にぬかづきまくった作品を連発したからじゃなくって、テレビ放映する作品でもOVA並みのこだわりをもったクオリティを保ち続けたからでしょ。でも、ヤマカンさんにはそうは見えていないようで。

あと、強い作家性をもつクリエイターが、商業主義的な作品づくりに嫌気が差してどうにかなっちゃう、なんてのは昔から繰り返されてきた話だと思ってて、それこそ押井守が「ラムのことなんてよくわからねえ」と言いつつも『ビューティフル・ドリーマー』でスマッシュヒット飛ばして、良い気分になって自分の作りたいモノ作ったら大コケして業界干されたとか、庵野秀明もエヴァでサービスサービスしたものの一部オタクからの頭の悪いバッシングに辟易してアスカに「気持ち悪い」って言わせちゃったりとか、それこそ日常系がどうとか言うずっと以前からある話じゃないですか。

でも結局、ビジネスとしてコンテンツを作る以上は、市場に受け入れられるモノを練った上で、さらにクリエイターとして何を乗せられるか、って話じゃないですか。ましてやアニメなんて作るのに相当なお金が掛かるんだから、まずお金を集めなきゃいけないし、その集めたお金に対して責任を持たなきゃいけない。それは日常系だとか萌えだとか言うずっと前から、アニメ業界が背負ってきたジレンマなんじゃないですか?

近年のアニメが粗製濫造気味だというのは頷けるところもあるんですが、中にはちゃんとエンタメとして高い完成度を誇りながら、骨太のテーマやストーリーを織り込んだ作品だって存在しているワケです。それに、日常系や萌え系は思想が無いからダメ、なんていうのもあまりに老害的な考えで、そういう作品に触れることで心が軽くなったりとか、癒やされたりとかして救われた人も大勢居るワケです。私もそのひとりでございます。それに、『けいおん!』はあの放課後の「空気感」を演出するために様々な技巧が凝らされているからこそ、あそこまでヒットしたんだと思うよ。「なんでもいい」「深く考えなくていい」からヒットしたワケじゃない。

それにコンテンツビジネスなんて人気商売なんだから、作り手が一部のファンに対して批判を繰り広げるなんていう行為は百害あって一利無し、それが許されるのはもう押しも押されもせぬ「大家」となったクリエイターだけでしょう。もちろん、炎上騒動を好んで仕掛けるまとめサイトや一部ユーザーを放置しておいて良いとは思いませんが、クリエイターが同じ土俵に出て行って喧嘩するなんていうのは下策中の下策。

そういう、「ビジネスとしてのアニメ」と折り合いを付けられず、かといって押井守や庵野秀明のようなスマッシュヒットとなる作品にも巡り会えなかった恨み辛みをもって、「アニメは死んだ」とか言われても正直困る。てか、やっぱり『らき☆すた』監督降板劇で自分のキャリアに泥を塗った京アニに対する恨みはあるんだろうし、京アニを見返す(あるいは復讐する)ために、違う方法論でヒットを飛ばして見返してやる、みたいな気持ちは強かったんじゃないですかね。

それを作品づくりのエネルギーにだけ転化できればよかったんだけど……。ここに至っても、何の関係もない事象をつなぎ合わせて京アニやアニメ業界を批判している様を見ると、ホントに残念としか言いようがありません。まあ、職業としてのクリエイター、ましてや作品全体の出来に責任を持つ立場の人が、日々どれだけの心労と戦っているのか察せられる話でもありますね。

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