こうやって自分の頭の中にあること。
自分自身を文章にするのは、実に久しぶりのことです。
自分自身が、ただ書きたいことを書くというのは、
なかなか条件が揃わないと始まらないのです。
たとえば、人に会いすぎていないこと。
外からの刺激が多いと、自分じゃないものに神経を持っていかれます。
ちょっと人不足だな、さびしいんだけどな、と思いながらひとりで過ごす時間を
十分にとった後に、こういう時間は訪れます。
それから、部屋がある程度片付いていること。
ああ、部屋が散らかっているな。食器も溜まっているし、
洗濯物がカーテンレールにかけっぱなし。
となると、罪悪感に神経を持って行かれます。
天気との相性もあるかな。
以前に、どういうときに幸せ?と聞かれて、
自分自身を表現できていることを書いているとき、と
ありがとうでいっぱいになたとき、と
答えたことをすごく覚えています。
聞いた人は、わたしが自分自身を書いたブログを読んで
連絡をくれた人だったので、それは、とてもよく、
過不足なく、必要十分に内容や人間味や意味のある、
まとまったよい会話でした。
あの会話は、真実をついていた、と、今でも思います。
そう。そういう時間が、長いこと訪れなかったなあ。
今日こうなったことには、
わたしが計り知ることができない、
大きな意味があるのでしょう。
大いなる時の運びが、そうさせているのでしょう。
自分自身を表現することにこだわる沖縄の立体作家 今村能章さんのインタビュー記事を書いたこと。
少し前にウェブマガジンに書いた自分の記事を、おもしろいじゃないか、と読み返していたこと。
吉本ばななと岡本敏子の「恋愛について、話しました」という対談集を読んだこと。
去年の公募ガイドをパラパラとめくって、「エッセイを書く勘どころ」について学んだこと。
それらによって引き起こされているこの時間。
一番好きな、午後の遅い時間の光。
いくらでも、どこまでも、書けるような気分。
いまわたし、ここで、幸せです。
自分自身を文章にするのは、実に久しぶりのことです。
自分自身が、ただ書きたいことを書くというのは、
なかなか条件が揃わないと始まらないのです。
たとえば、人に会いすぎていないこと。
外からの刺激が多いと、自分じゃないものに神経を持っていかれます。
ちょっと人不足だな、さびしいんだけどな、と思いながらひとりで過ごす時間を
十分にとった後に、こういう時間は訪れます。
それから、部屋がある程度片付いていること。
ああ、部屋が散らかっているな。食器も溜まっているし、
洗濯物がカーテンレールにかけっぱなし。
となると、罪悪感に神経を持って行かれます。
天気との相性もあるかな。
以前に、どういうときに幸せ?と聞かれて、
自分自身を表現できていることを書いているとき、と
ありがとうでいっぱいになたとき、と
答えたことをすごく覚えています。
聞いた人は、わたしが自分自身を書いたブログを読んで
連絡をくれた人だったので、それは、とてもよく、
過不足なく、必要十分に内容や人間味や意味のある、
まとまったよい会話でした。
あの会話は、真実をついていた、と、今でも思います。
そう。そういう時間が、長いこと訪れなかったなあ。
今日こうなったことには、
わたしが計り知ることができない、
大きな意味があるのでしょう。
大いなる時の運びが、そうさせているのでしょう。
自分自身を表現することにこだわる沖縄の立体作家 今村能章さんのインタビュー記事を書いたこと。
少し前にウェブマガジンに書いた自分の記事を、おもしろいじゃないか、と読み返していたこと。
吉本ばななと岡本敏子の「恋愛について、話しました」という対談集を読んだこと。
去年の公募ガイドをパラパラとめくって、「エッセイを書く勘どころ」について学んだこと。
それらによって引き起こされているこの時間。
一番好きな、午後の遅い時間の光。
いくらでも、どこまでも、書けるような気分。
いまわたし、ここで、幸せです。