地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

スモール&ローカル

2008年07月01日 | お仕事日記
以前のブログで、「エコじゃない宣言」をしてから、
じゃあなんなんだ!の答えを考えたり考えなかったりして1ヶ月以上経っちゃった。

今発売されている週刊ポストに
酒鬼薔薇14歳と西鉄バスジャック17歳と秋葉原25歳は同い年、
全員1982年生まれだという記事が掲載されていた。
深夜のコンビ二で背筋がゾッとした。

小学生でテレビゲーム、中・高でインターネットとケータイに"脳内汚染"され、
大学生の時に「勝ち組負け組」が流行語になって、負け組になることを恐れながら
就職氷河期の洗礼を受けた世代。
他人に共感することが苦手で、思い通りにならないことに対する忍耐力が低い。という。

ちなみにうちの双子ちゃんも1982年生まれだ。
同じ世代のほとんどの人は犯罪なんて犯していないし、
他の世代にも犯罪者はいるわけで、
彼らの異常な行動を時代背景だけのせいにするのは
あまりにも短絡的だと思う。

けれど、
自由資本主義経済と拝金主義が犠牲にしてきたのは
自然環境だけではないことは確かな気がする。

人間は弱くて、楽な方に流れる。
だから、楽や便利がお金になるからって、子どもの遊びや他人との対話まで、
お金を出せば楽に便利になるようにしちゃいけなかったんじゃないかと思う。

まだ実践はしてなくて、観察の結果でしかないけれど、
自給自足的な暮らしには、人とのつながりが必要不可欠だ。

江戸時代の長屋もそうだけど、昔は他人同士の間に信頼関係があって、
おとなりさんにお醤油を借りたり、一緒に屋根を葺いたり、井戸を共有したり、お下がりを譲り合ったりして
リサイクルだの循環型社会だのと言わなくても、自然とモノや知恵がうまく回って、顔の見える範囲で生活が完結していた。

逆に言えば、そういう生活必需品みたいな空気の一部みたいな他人とのかかわり合いの中で、
ちゃんと他人と向き合う能力が備わっていってたんじゃないかと思う。
コミュニケーション能力なんて大げさに言わなくても。

さらには、顔の見える範囲にいる染物屋さん、下駄屋さん、金物屋さん、八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、お百姓さん、仕立て屋さん、建具やさん、髪結い・・・が小さなエリアごとにいる
っていう具合に、画一的に査定や時給で評価される労働力としてではなく、能力を生かす居場所があった。
モチベーションマネージメントだのダイバーシティだのと言わなくても。
顔を見たことも目を合わせて話したこともない人が、
意思決定や自分を評価する権利を持っている組織で働くことはなかった。(軍人を除いては)

もちろん、飢饉や疫病や大火事や水害もあっただろうから、
江戸時代に戻ればいいなんてまったく思ってない。

でも、自然と共生する暮らしを目指していけば、顔の見える関係を大事にせざるを得なくなって、
社会が人間らしさを取り戻せるんじゃないかと思う。

私が探しているのは、そういうこともひっくるめたキーワードなのだと気付いた。

スモール&ローカルとか。そんな感じ。かな。