北緯43度

村上きわみの短歌置き場です

リタイアします

2006-10-28 | 題詠:2006
題詠、あと少しですがここでリタイアしようと思います。


つい先ほど、笹井宏之さんに次のような作品があることに気がつきました。

  水晶をくちにふくんでどこまでもあなたの着信履歴を辿る 笹井宏之(2006/07/13)



そして、村上は同じ「水晶」の題でこの歌を出しています。

  水晶をくちにふくんで砂浜をあの世のように歩きましたね 村上きわみ(2006/10/21)



偶然というにはあまりな類似です。
正直に書きますと「水晶」という題を目にしたとき、ごく自然に、口に含む
という動作を発想しました。自分のなかから自然にでてきたものです。
ですが、結果としてこれだけ似てしまったことについては、弁解のしようが
ないというのが正直なところです。

わたしは笹井さんの作品がだいすきですし、いつも、これはかなわないなあ
と思いながら読んでいます。ですから、たとえその時点で笹井さんのこの作
品が頭になかったとしても、意識下に作用していなかったとは言い切れない
ものがあります。そして、そうしたこととは別に、現実にこうして類似した
作品を出してしまっていたこと、それ自体に、ショックというか、情けなさ
を感じています。

敬愛する書き手のひとりである笹井宏之さんに対し、無意識のふるまいとは
いえ、いやな思いを味わわせることになりましたことを、こころからお詫び
します。また、感想サイトなどでとりあげてくださった方、ここを気にとめ
て読んでいてくださったみなさまも、ほんとうにごめんなさい。

そういったわけで、わたくしの題詠百首はここでリタイアとさせていただき
ます。今味わっている思いを忘れず精進していきたいと思いますので、今後
ともどうぞよろしくお願いします。
                      自戒をこめて

                         村上きわみ 拝



笹井宏之さんのblog「些細」はこちら
http://sasai.blog27.fc2.com/

※10月30日付記
 笹井さんご本人からは、今回の件について、おだやかでご理解のあるお返事をいただいています。
 そのことも改めてここに書いておきますね。笹井さん、ありがとうございます。
 

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (みつき)
2006-10-28 01:09:48
きわみさん



とつぜんのお報せご丁寧にどうも

封印のことは、ご意志を尊重しますね。



あとはメールで少しお話します。
何度か作品をお借りしています。 (花夢)
2006-10-28 18:59:52
はじめまして。

題詠に参加しております、花夢と申します。

今は、題詠を完走し、感想で走っています。



実は私も、

無意識に影響されてしまった歌や、

全く知らなかったのに恐ろしく似てしまった歌を、

今回の題詠で体験しています。



そのたびに、冷水をかけられたような思いを感じ、うわーどうしようと思ったので、村上きわみさんのお気持ち、よくわかります。

自分を恥じ、詠みなおしできない題詠のルールに頭を抱えました。



今回、村上さんのこのコメントを読み、同じ思いを味わいながらものうのうとブログを続けている自分はどうなのだろうと考えたりもいたしました。



ただ、それでも・・・それでもリタイアを残念に思います。

村上さんの作品がとても好きなので。



これからも時々、この題詠から作品を借りさせていただくと思います。

どうぞよろしくおねがいいたします。
ありがとうございます (村上きわみ)
2006-10-28 23:48:34
コメントをありがとうございます。



>みつきさん

迅速に対応していただきありがとうございました。お手間をとらせてしまってごめんなさい。メールも、どんなにかありがたく。これからもどうぞよろしくお願いします。



>花夢さん

いつもとりあげてくださってありがとうございます。とても励みになっていました。

リタイアに関しては、自分の内側にあるものに照らして決めたことですが、いろんなかたちがあり、いろんな選択肢がありますので、どうかあまり窮屈に受け止めないでいてくださいね。

これからもどうぞよろしくお願いします。
水晶のイメージ (すぎな)
2006-10-29 12:48:49
「水晶をくちにふくむ」というイメージから、むかしの中国で埋葬のとき、再生を願って蝉の形の宝玉を死者の口にふくませた、というのを連想しました。自分がその話を何で読んだのか、いま思い出せないのですが。(その宝玉も、水晶だったか翡翠だったか特に決まっていなかったかも思い出せないのですが。)

もしなにかが意識下にあったとすれば、笹井さんのお歌ではなく、そういう故事ではないのでしょうか? わたしは村上さんがこのイメージをふまえていらっしゃると(勝手に)思って読んだので、「水晶を口にふくむ」ことと「あの世のように」はごく自然に結びついていると感じました。「歩きましたね」と回想のかたちで書かれていることに、もう失われてしまったというかなしみと、叶わない再生を願ってしまう切なさが重なっているように読めました。見当違いでしたらごめんなさい。

短歌以外のところにあるイメージに触発される、というのは普通にあることだと思うし、どこまでがオリジナルか、というのは本当に難しいと感じます。

今回、たまたま表記まで同じフレーズが、同じ会場で出てしまったということで、このような判断をされたお気持ちはとてもわかるのですが、一読者として見ると、ふたつのお歌はそれぞれに違う作品・それぞれに魅力的な作品だと思います。



わたしも、テーマや題材は違うのだけど、リズムや言い回し・レトリックの使い方などが、自分の好きなプロの方のと似ている歌を出してしまって、あとで気づいてぎゃっと思ったことがあります。(気づいただけで二回……気づいてないのがどれだけあるかと思うと怖いです。)でも、ついつい「でもここがちがうからちがうもん!」っていう方向に自分で自分を納得させようとしてしまうので、村上さんのご自分への厳しさに圧倒されました。(プロなのだ、と思いました。)これからもお歌をたくさん読みたいです。

いろいろ書きたいことがあるけど (庄司)
2006-10-29 23:24:44
潔さに一票。
感謝 (きわみ)
2006-10-30 11:01:49
>すぎなさん

あたたかいコメントをありがとうございます。

「石を口に含む」というのは、わたしにとってはもともとなじみ深い行為のひとつなのですが、内側からくみあげたことばやイメージが、自分のどのあたりに由来しているものかを、正確にたどるのはなかなか難しいですね。

ただ、今回のことは、すぎなさんがお書きになっているように「表記まで同じフレーズが、同じ会場で」ということに尽きると思っています。気がついてよかった。気がついて、そのことをここにきちんと書くことができて、ほんとによかったと思ってるの。ほっとしています。



>庄司さん

いつもありがとう。

なんにせよ、はずかしいことにはかわりないので、気持ちひきしめてるところです。

ありがとね。
こんばんは (やすまる)
2006-10-30 21:04:42
はじめまして、やすまると申します。



こちらのblogに時々おじゃまして、村上さんの歌を読むのを楽しみにしていました。

今日こちらの記事を読んで、村上さんの歌を読んだのと同じ気持ちになりました。

こころがざわざわして、そのざわざわは気持ちいいです。



うまく表現できなくてすみません。

こちらのblogの一読者として、不快な思いとかいやな思いとかはまったく感じなかったこと、村上さんの短歌にむかう姿勢に感動したこと、を伝えたくて書きました。
はじめまして (きわみ)
2006-10-30 22:17:44
>やすまるさん

こんにちは。はじめまして。

お立ち寄りいただきありがとうございます。

コメントもどんなにかありがたく、恐縮しています。



今回はこんなかたちになりましたが、たのしみながらのんびり書いていくという姿勢はあまりかわらないと思いますので、これからもおつきあいいただけたらうれしいです。どうぞよろしくお願いします。

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