最後の生粋の今戸人形師と言われた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。
来年の干支は兎ですので、気が早いかもしれませんがご紹介します。
近世遺跡からの出土品を含め、今戸焼の土人形の中にも兎の人形がいくつか作られていたことが確認できます。なかでも最も知られているのが「月見兎」の人形です。昔遊女たちが身重にならないよう「無事月のものを見るように」という願いを込めて買い求めたという話は有名なのですが、この話の出典がどこにあるのかということがはっきりしません。どちらかといえばこのようにネガティブな方向への祈いよりも兎は繁殖力が強いことから、多産→豊饒へのイメージであることのほうが一般的なのではないでしょうか?
この「子抱き兎」は春吉翁一代の創作による型であると聞いていますが、信仰的な背景があるかどうかわかりませんが、おめでたいイメージの人形ではないかと思うのです。昔の今戸焼には「子抱き~」「親子~」という種類の人形があります。親兎が子兎の蚤を捕っているというのがユーモラスですね。
画像の親兎の袖なしの地色は朱色ですが群青色に塗られたものもあります。また目玉焼きのような花柄のパターンは他の人形にも描かれることの多いもので、明治時代のお福さんにも散見できます。春吉翁による兎の顔の配色は独特で、耳と目の赤色は別の配色になっていることが多いです。耳はスカーレット染料でごく薄く塗り、眼は濃いスカーレット染料か赤の顔料を置いてから眼点を入れるというやり方です。耳も目もまとめて同じ色に塗れば手間も省けるのですが、そこに手間をかけるところに春吉翁のこだわりがあったのではないかと思うのです。
余談になりますが、明治時代には今からみると不思議な大流行がありました。「おもとの栽培」と「兎の飼育」です。あまりの流行に、投資的な動きまであったそうです。「兎の飼育」の流行に便乗して様々な兎グッズまで登場したようで、絵草紙屋の店先には「兎絵」という錦絵のジャンルが幅を利かせたらしいのです。当時の今戸焼の人形にも、そうした流行の背景があったのかもしれません。
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