丸〆猫(まるしめのねこ)といって、記録や錦絵、遺跡からの出土品の土人形と三点揃って、現在のところ確認できる招き猫の最も古い姿だとか、最古の招き猫、招き猫の起源や元祖とか言われていますがどうなのでしょうか?
招き猫は全国のいろいろなところで作られていましたが、こうした土人形作りについて、当時として記録に残っていることのほうが稀で、江戸を消費地とした今戸焼は、その点で上記のような記録が残り、錦絵にも描かれ、そして遺跡からも出土しているという点で、幸運でした。
最古の招き猫とは言っているものの、記録に残っていないもっと古い姿の招き猫も存在したかもしれないので、招き猫の元祖とまでは言えるかどうか、、。
後ろ左側の丸〆猫は私として最初に手がけた丸〆猫で、昭和戦前の頃の作と思われるものを手本としました。作者はわかりませんが、最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)の可能性もあるように思われます。この型には、配色の違うものが幾通りかあって、それらもやってみたことがあります。明治の「うなゐの友」に描かれた丸〆猫と配色は若干違いますが、形はよく似ています。
その次に手がけたのが手前左側の小さな2体。尾張屋春吉翁作の丸〆猫(座姿と臥姿)です。春吉翁も、同じ型の人形へ幾通りか異なる配色をしています。そして次が「丸〆小判猫」。これも尾張屋春吉翁の作の再現を試みたものです。
そして、後ろ右側のが、最近手がけた、新宿区内の「水野原遺跡」から出土した丸〆猫を再現したもの。広重画の「浄るり町繁華の図」に描かれた「丸〆猫屋」に並んでいる猫の配色を参考にして塗ったものですが、よだれかけの縁の部分だけは、伝世の座り猫によくあるように「キハダ」を煮だした汁を塗り重ねて上から真鍮粉を蒔きました。
その後もうひとつ、文京区内の遺跡から出土した「本丸〆」の印のある猫も再現しました。一緒に写真に撮りたかったのですが、整理が悪くてどこへいってしまったのやら、、。画像は当ブログの「今戸人形」カテゴリーの中の丸〆猫⑬の記事か、HPの飾り棚のページにありますので、よかったらご覧ください。
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