東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

雛の家

2019-03-03 16:25:25 | 日々

 今日は3月3日のひなまつり当日。全国各地でお雛様にまつわるイベントで賑わっていることでしょう。都内だけでも各所で雛にまつわる展示や催事がにぎにぎしく開催されているかと思います。残念なことに朝から雨が降っています。

 昨日は郷土の雛を大切に収集され、自宅に飾っていらっしゃる方をお訪ねして見学させてもらってきました。私も所属させていただいている「日本人形玩具学会」の発足当初からの会員でいらっしゃる吉本滉子さんのお宅です。学会の会員名簿は五十音順なので同じ「吉」はじまりの苗字なのでいつも同じページのお近くに記されているお名前なので、お名前だけは存じあげていたのですが、ご面識はいただいておりませんでしたが、昨年の丸の内丸善オアゾでの「みそろぎ人形展」会場へお越しくださって、私のブース前でお話していてはじめてお目にかかったという次第です。それより遡って、「べにや民藝店」さんが青山で営業されていたとき、拙作の人形展をさせていただいた折りにもお越しくださり会場内にあった「一文雛」と「江戸一文雛」(尾張屋風)をお求めくださったそうで、裃雛はまだなので丸善にあるかと、お越し下さったそうなのですが、最近作っていなかったため会場には置いていなかった。そこでお時間をいただいてできたところで連絡差し上げるというお約束をしていたのでした。そして新年が明けてから今年のひなまつりに間に合わせなければ失礼かと思い、急いで作ってお送りしたのでした。亡父の法要を終えて東京に戻る3月2日か3日に見学させていただくというお約束をいただいて昨日お邪魔させていただいたという次第です。

 ふた部屋に台を設営された上にズラリと並んでいる様子は圧巻です。ほとんどのお雛様はひとつひとつ作者を訪ねてお求めになられたとのこと。それだけにそれぞれにその当時の思い出があり毎年飾るのもしまうのも大切にされているのだそうです。「べにや」さんでお求めになられたふた組の拙作の一文雛。白いのは当時確かに作っていたのですが、忘れていました。裃雛ふた組は同じ明治調のパターンで塗ったものなのですが頭や襟元の塗り方が異なるパターンで、両方とも塗ってお送りしたものです。拙作の裃雛の後方に見える芝原の「団子雛?」の一対は三代目田中謙治さんの作、小さい裃雛の一対も田中謙治さんの作で、その他は現在の作者のもののようです。手前の皿に盛られた食べ物はご自身で細工されたものだそうです。

 手前のテーブル右奥に積みあがっているのは、山形のひな祭りでお供えされている「かど」(ニシン)に見立てて、千葉で売られている魚型の食品パッケージを利用して膨らみを持たせているそうです。一番手前はお訪ねするのに普通のお菓子ではつまらないと思って、西荻窪の「ルーペ」さんで買って手土産にお持ちした「金花糖」。もし既に同じものをお供えされていたら申し訳ないかも、、、と思っていたのですが、お喜びいただいて何よりでした。

 あまりの壮観さに全てにカメラを向けることをうっかりしていましたが、梁の上や天井近くにも紀州方面の立雛型の御守とか雛の絵柄の絵馬なども飾られていました。

 この木彫の段雛や横の立雛やその他すべて、ご自分でお作りになられたものなのだそうです。もうびっくり!!!てっきり奈良彫のセットなのだと思っていました。このようにひとつの部屋に歩いて作者を訪ね、お集めになられた雛の数々、もうひとつの部屋にご自身でお作りになった雛の数々が飾られてあり、お住まいのお部屋には昭和はじめの雛段で御殿飾りつきのものものや玄関には大きな九州産のお雛様も飾られていました。

 聞くところによれば、「お人形は顔がいのち」の浅草橋の「吉徳」さんの小林すみ江先生もこれらの雛をご覧にいらっしゃったことがあるそうです。大切にされているものなので広く一般公開はされていないそうですが、人形に関心を持っている方であれば事前に相談のうえ、見学させてくださることは可能だということです。今年は飾るのも今日までなので、これから大切におしまいになられるようです。

 吉本さんのお母様は美術学校で日本画を専攻されていたのだそうで、猫で有名な川村目呂二さんとご親交があったとかお父様は日本画の奥村土牛先生とのご親交があったそうです。すごい。まずはたくさんの郷土雛たちに拙作の土雛も仲間入りさせてくださってうれしく思いました。