東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

GWらしい一日に、、。

2018-05-08 01:35:27 | 日々

 長い連休でしたが、自分にとっては勤めの身ではないので平日も休日も関係のない日々で、人形を早く仕上げようと、昼夜逆転だったり、外に出るにも、混んでいるところには行きたくないので、引きこもっていました。ただ6日の日曜日だけな、GWらしい一日を過ごしてみたいと新宿でネタ探しをし、京王線で高幡不動へ。そしてこけしの「楽語舎」さんを覗いて日も沈みそうな頃合いで、本当は多摩の山並みを仰いでどこかで少し食べたり一杯できないか、と思っていたのですが、帰りに高尾山帰りの混雑に巻き込まれるのが不安になってまっすぐ赤羽に戻り、中国料理屋さんで夕食と一杯やって帰宅しました。

 赤羽は近頃、「せんべろの街」的なイメージではるばるやってくる人が少なくないようですね。人さまから「赤羽に住まっているなんていいですね。」とか言われますが、飲み食いに関してはどの店も混み合っていて入れないところが多くて不便になっています。その点ここの中華料理屋さんは行きつけなので「いつものを」とお願いすれば決まってご覧のとおりの小皿を出してくれます。肉ものは嫌いではないですが、たくさん食べられるものではないし、こうした野菜ものの小皿をつまみながら一杯やっていられるのが安心です。黒おでんの店なんかだともっと安いし、そういうのも食べたくなりますが、赤羽だと大抵満員で入れないので西川口へ行って同じ看板の店へ入ったほうがよいかと思っていますが、ここの中華屋さんは割と繁盛していても入れず困ったことがありません。毎日こればっかりというのも飽きますが。一番の理想は野菜ものの多い和食風のお店があったら、、と思います。


玉台の彩色

2018-05-08 00:59:19 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 際もとっくに過ぎたのですが、頼まれて一文雛を作っていました。本体の人形が揃い、今度は玉台を塗っています。昔、お人形は顔が命の浅草橋の吉徳さんの番頭さんから教えていただいたのですが、雛段で人形の下の台を「玉台」というのだそうです。「玉」はみかど様のこと。江戸時代にはいろいろな様式のお雛様が生まれて、享保だの古今だの贅を尽くした人形を見ることができます。「玉台」の縁に貼られる布の模様から「繧繝縁」(うんげんべり)と「高麗縁」(こうらいべり)というのがあるんだそうで、繧繝縁は特に最近までもお雛様のイメージとして定着しているのではないでしょうか。繧繝(うんげん)はグラデーション彩色のこと。衣装をつけた人形をはじめとして、郷土人形のお雛様や天神様の台座部分には繧繝風(必ずしもグラデーションになっていなくともストライプのような彩色がなされています。

 今戸の一文雛の場合、板に彩色した玉台で、正面に繧繝風の彩色をしたり、白緑色一色に塗られたものもあります。今塗っているのは左側は煮出しで塗る一文雛用の台、右は最後の生粋の今戸人形の作者だった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)がお作りになった江戸一文雛用の台座です。

 

 尾張屋さんの繧繝風の配色は細かいですね。はじめてこれを作ってみたとき、吉徳資料室の小林すみ江先生に観ていただいたら、尾張屋さんの配色が「いかにも江戸東京っぽい好みですね」と仰ったのを思い出します。つまり春吉翁自身が江戸っ子ですから自然と配色にも江戸からの好みというものを伝承されていたということですね。

 乾かして、既に包んである人形を乗せてみました。

 右の煮出し彩色の一文雛の台の配色は決定版という訳ではなく、あっさりとしたグラデーションで塗っていますが、グラデーションなしで白緑一色というパターンも古い作例にありました。