東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸焼(43)「箱庭細工の狐」

2011-02-10 01:16:00 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010097 このブログでは「今戸人形」のカテゴリーと「今戸焼」のカテゴリーを分けていますが、どちらに入れたらよいかちょっと迷っています。箱庭細工は今戸焼で盛んに作られていたもなのでとりあえず「今戸焼」としてご紹介します。

何れも手びねりによる成形で、白いほうは木地に白化粧土を施してから下絵具で絵付けし、透明釉をかけたもの。ベージュ色に見えるほうは尻尾の先以外は化粧をせずに下絵具で目を入れ、透明釉をかけて焼いたものと思われます。

いずれも土の色は赤い東京の土ではなく、取り寄せた関西か多治見の白土のようです。箱庭細工に使う土の色は赤、白両方みられます。箱庭細工の中には猟人の姿のものもありますが、ここでは狐のみ紹介させていただきます。


王子稲荷の紙からくり②

2011-02-10 01:00:02 | ご近所

P1010095 一枚目の画像は昭和7年の初午に王子稲荷地内「栄や」というお茶屋さん(または料亭?)から出された紙からくりの「狐の勧進帳」と「暫狐」です。

製作の監修は有坂与太郎で、裏にその由来を述べる紙片が貼りつけられています。また、当時デパートでの郷土玩具の即売でも売られたのでしょう。大丸の値札がついていて、「勧進帳」「暫狐」共々それぞれ10銭だったようです。

「暫狐」は明治の劇聖・9代目市川団十郎が王子稲荷に参詣して舞台の成功を祈願し、成就したことによってできた云々の由来を聞きますが、それより古い錦絵には既に構図の異なる「暫狐」が描かれているので、前からあったものなのでしょう。しかし、画像の「暫狐」は明治の9代目団十郎の頃のものを写したものでしょうか?

戦後、漫画家の宮尾しげを画伯によって復活されたものも、構図としてはこんな感じでした。私が小学生だった昭和40年代後半はまだ宮尾画伯作の「暫狐」が授与されていましたが、その後、昭和50年代くらいに現在の型(仁王襷をしている)に変わったのではないかと思っています。

P1010096 画像2枚目のものには、昭和24年と記されています。何かの本で観たことがあるもので、おそらく当時の好事家が古いものを再現したものではないかと思われます。


王子稲荷の紙からくり①

2011-02-10 00:38:03 | ご近所

P1010093 昨日は初午でした。王子稲荷さまと装束稲荷さまはかなりの人出で賑わったことと思います。

王子稲荷さまは火伏せの凧市で知られていますが、古くからの土産として有名なものに紙と竹ひごで作られた紙からくりがあります。昔から東京を代表する郷土玩具のひとつに数えられるものです。

現在でも王子稲荷さまで授与している「暫狐」の類ですが、古い錦絵などに描かれているところから種類はいろいろあったようです。道行風の「相合傘」などどういった仕掛けになっていたのか伝世品があったら観てみたいものです。

画像のものは、わが家にある明治時代のものを手本として自分で以前作ったものです。本当なrば実物をご紹介したいところですが、どこにしまってしまったのか、すぐに出てきません。

寸法や意匠は忠実に写したつもりですので、こんなものが明治にあった、というイメージとして観ていただければ、と思います。

竹ひごを動かすと、おいらんの頭が回転して狐の頭に替わります。

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