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偽ユダヤによって捏造されたプーチン像と歴史をくずす

「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

南京大虐殺

2018-12-14 13:33:39 | 露中vs戦争や  中国  アジア






12.13 南京大虐殺を中国は忘れない


中国では南京事件の犠牲者を悼む慰霊祭が行われている。

南京事件は20世紀に起きた最も大規模な殺戮の一つに数えられる。


1937年12月13日、日本帝国軍は南京市を占領し、1か月間で34万人を殺戮した。

2014年、中国国務院特別令によって12月13日は公式的に南京事件の犠牲者を悼む日として制定されている。



南京事件を目前にした12日、東京の靖国神社では2人の中国人が事件に対する抗議行動として「南京大虐殺を忘れるな」と書かれたプラカードを掲げ、

中国北東部を占領した関東軍の当時の参謀長だった東條英機の名を記した紙を燃やす事件が起きている。抗議行動を行った中国人2名は警察に拘束された。


南京大虐殺の犠牲者数はいまだに大きく割れており、論争の的になっている。

ロシア科学アカデミー極東支部日本調査センターのヴァレリー・キスタノフ所長はこれについて次のように語っている。



「日本人は南京大虐殺の事実を否定していないが、犠牲者の死者数については意見があまりにも割れている。


中国の科学者らは死者は30万人だったと主張している。これに対して日本側のあげる数値は3万人以下で、中国に比べてあまりに少ない。


ただし専門家らは問題は数値にはないとみなしている。

殺戮された数が3万人以下だったとしても十分に多く、その上、殺戮対象は軍部にとどまらず、女性、高齢者、子どもと一般市民もこれに含まれていたというのがその理由だ。


これらの犠牲者は火をかけられ、暴行され、生き埋めにされた。そのうえ、日本兵らには薬きょうを無駄にしないよう命令が出されていたため、殺戮は主に短剣や日本刀で行われたことは知られている。


このため問題は殺された人の数ではなく、その犯罪の残忍度にある。」



☆ どんなに証拠があっても 否定する 

そういう 脳の集団が 明治からの自称神の国の正体。

人間通しの 話しあいは無理。


大虐殺を指示したのが 実際は (明治からの 似非)皇室だからだ。


工作 火病集団は
この明治国家の ISとして 生存しているが
素性は かなり 分かっている。




◎ 精算されていない日本の過去(1/2)https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812020000/
2018.12.03 櫻井ジャーナル



 第2次世界大戦中、日本は占領した東アジアの国々で人びとを強制的に動員して働かせた。徴用工だ。


日本では1938年に国家総動員法が制定され、翌年に公布された国民徴用令によって厚生大臣は強制的に人員を徴用できるようになっていた。


 この仕組みを国外で外国人に適用すれば国際問題になる。


韓国との問題では1965年の日韓請求権協定で解決したことになっているが、日本側も個人の請求権は消滅していないことを認めている。


韓国の大法院もそのように判断、日本の企業に賠償金の支払いを命じたわけだ。


 日韓請求権協定自体の問題を含め、日本の過去は清算されていない。


アメリカ支配層の力を借りて封印してきただけである。


アメリカの力が弱まったことで、問題が表面化してきたと言えるだろう。


韓国は何年も前からロシアや中国との関係を強め、アメリカから離れつつある。アメリカの属国である日本に気兼ねするような状況ではなくなってきたのだ。


 本ブログでは何度か書いたことだが、日本軍は東アジアの占領地で財宝を組織的に略奪している。「金の百合」だ。


 アメリカ人ジャーナリストのスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、プロジェクトが始まるのは日本軍が南京を攻略した1937年。


政府が保有する資産を奪うだけでなく、銀行や裕福な家に押し入って金や宝石などを略奪したという。


財宝を探し出すため、憲兵隊は目をつけた家の娘を誘拐することもあったという。


娘と引き換えに、隠した財産を差し出すか近所や親戚の財産に関する情報を教えろというわけだ。


貧しい家の娘は売春宿に連れて行かれたともシーグレーブ夫妻は主張している。



 この南京攻略戦に参加した少なからぬ日本軍の将兵が陣中日記の中で軍命によって捕虜を射殺したと記録しているが、個人的な略奪、殺戮、レイプなどもあったようだ。



 この作戦当時、特務機関員として活動中だった中島辰次郎は、南京市内で「虐殺」と呼べる出来事があったことは間違いないと明言、総数はわからないとしたうえで、


死体が山積みになった光景を見たと話していた。(筆者自身の取材)



 また、支那派遣軍の岡村寧次総司令官が「大暴行があったのは事実」と書き残しているほか、


外務省の石射猪太郎東亜局長は「南京に於ける我軍の暴状」の報告に「目もあてられぬ惨状」と書かれていたと日記に記している。



中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将は師団長クラスの退廃ぶりを嘆いていた。


 南京攻略は形式上、松井石根が最高指揮官なのだが、実際は朝香宮鳩彦、昭和天皇(裕仁)の叔父にあたる人物だったと言われている。


 スターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、

「金の百合」を指揮していたのは天皇の弟である秩父宮雍仁で、その補佐をしていたのが天皇の従兄弟にあたる竹田宮恒徳だという。


秩父宮は駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルーと親しい。





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