ハニカム薔薇ノ神殿

美という花から無駄な知識を集めてハチミツを作る。ドラマ、ゲーム、映画、美術史、歴史、書評。

暗喩の系譜

2018年01月13日 | サブカル・同人誌関係
遅ればせながら「ポプテピピック」のアニメを見た。

これを「シュルレアリスム的作品ですね」というのは一番悪い批評だろうなと思う。
なぜなら、シュル的であるものの全てが、そういう学術的な上から分析によって破壊されるか
「ちげーよ!クソが」と言って先に逃げるかすると思うからだ。
「面白くない」と「最低の作品」という批評は、どちらも賛美になるが
哲学的に分析を試みるものだけが最悪。


昨年、ヒエロニムス・ボスからブリューゲル(ボス派)までを見た。
そのイメージソースとか、作品意図がどういうものかというのは
常に語られるところだろうけど、
なんといえるところでもない「それ」はどこから来たのか。
私はデュシャンからその先の先のネオダダ、そして無意識的であれ日本のポップ、サブカルに至るまでの「それ」は
多分、ずっと啓蒙主義的な正論のB面として佇んでいるんではないかなと思っている。
ブリューゲル派の元ネタはボスである
ボスの元ネタは何なのか
知ってる人、わかる人にはわかる。
それはロマン派、象徴派を超えて20世紀まで繋がっている。


ダダは去勢されたテロであろうし
シュルは宝物を隠してまわる諧謔だ。


作品には必ずテーマや意図があって、主体的にそのメッセージを「伝える」
という作品のあり方に対して
かの連中は感覚だけで会話を成立させてしまう。
かくして、郵便物は「絶対に届かないように」手配されたにもかかわらず
欲する人の元には嫌というほど届きまくる。
「でたらめを解読する側の身勝手な誤解ではないのか?」
そんな懸念なんか気にしない。
そもそも、最初っからそんなに重大な意味など含んではいない。
これはただ単に「感覚」と「姿勢」の問題なのだ。


最近若い層に「卍」というのが流行っていて
意味はというと特に無いらしい。
おそらくそれは感覚のみであり、大人が騒ぎ立てる程の意味など無いのだ。
「ありとあらゆる物事に、意味と正解が必要なの?」
感覚的であることとは
「理屈」に生きることでどんどん乖離していく。
大人になってしまいすぎると理解する必要はなくなるのだ。


暗喩自体が暗喩するものは、時代のフラストレーションだ。
その裏には言うに言えない無限のNGワードがあるにちがいない。
20世紀に何があったか。「意味」は何によって閉ざされたのか。
それを知るならば、私たちはできれば
「暗喩」をまだ楽しめる余裕を、持つにこした事はないのだろうと思う。





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