モンマルトルの丘のたった1人の日本人画家 2014-02-10 23:37:31 | iledefrance ワタクシがパリで暮らしていた頃は まだまだ日本人画家ががたくさんモンマルトルのテルトル広場にはいらっしゃったのですが・・・ 今ではこの中島氏ただ一人です 中島氏が偶然名古屋の出身ということもあって、しかも池下から徒歩圏内です パリに住んでいた頃はそんなに親しくはなかったのですが(ワタクシが親しかった故住田画伯を看取ってくださった関係もあり) 数年前から親しくお付き合いしています そして今回、中島画伯の油絵をご購入 オペラ座近くにある大きな時計のあるレストランの絵です 素晴らしくトレビアーン ←クリックお願いします。 ←イルドフランスホームページ « 香港島でお買い物 | トップ | 画伯 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 故中島巳年夫 さん (Nakano Watari Aki) 2017-02-24 15:51:08 突然、失礼いたします。この写真を見つけ涙が止まらず…コメントさせていただきました。私は中島巳年夫さんと何年間も文通しておりました。パリで出会いその後もずっと私が年2〜3回パリへ行き、冬になると巳年夫さんが名古屋に戻るので、私も名古屋の実家へ。亡くなる前の巳年夫さんからの手紙で心配になり電話をかけました。とても怯えておりました。巳年夫さんからは色紙、油絵や巳年夫さんのお父様の俳句、水墨画などをいただきました。大切に保管しております。今だに巳年夫さんがいないパリへ行くことができない状態です。 返信する 中島巳年夫さん 懐かしいです 寂しいです (nami matsuura) 2017-04-05 08:48:28 初めまして松浦と申します。私も、この写真を拝見して当時のparisと中島さん、そして仲の良かった画家さん方々を懐かしく思っております。20年以上前に、滞在し通い詰めたモンマルトルの丘。その時人懐こく話しかけてくださり、皆の中に溶けこませてくださった巳年夫さんの訃報を聞いて、家族の前で大泣きした事を思い出します。その後毎年数回Parisに通い、観光そっちのけで丘に登っていました。結婚し、子供を育て、この子達が飛行機に乗れるようになったら皆に会ってもらいたいという願いが、年を重ねる毎に実現出来なくなる寂しい思いでいっぱいになりました。こちらのコメント欄に投稿されてるakiさん。お名前、皆の会話の中で時々伺っていたかもしれません。お会いした事ないのに、懐かしい気持ちです。実は、今回投稿しようと決意したのは、巳年夫さんのお墓まいりがしたく、日本にあることは聞いたのですが、どちらにいらっしゃるのかご存知の方を探しておりました。もし差し支えなければ、教えていただけると幸いです。 返信する 40年前に画家 住田 様に話しかけられて (さとう でみ) 2018-08-13 11:02:15 21才の私は独りでパリに半月滞在してました。モンマルトルの丘に行ったら画家 住田さんに話しかけられて、あの頃は日本人の画家が沢山おられました。住田さんに、油絵を帰国前日にフロントに預けておられ、連絡先も分からず40年経ち、すでに亡くなったと聞き お礼を言いたいのですが、パリの墓を是非とも教えていただきたいのですが。 返信する Unknown (nami matsuura) 2022-01-28 12:49:00 でみ さん もう数年前のコメントへの返信です。 発見してくださることを祈りつつ…住田さんのお墓は、ペール=ラシェーズにあります。 そこでのお墓は、30年間管理されると教えていただきました。 詳しい墓碑のNo.については、個別にご連絡いただければと思います。 まだ でみさんが在仏でいらっしゃるならば、現地で尋ねられると良いかもしれません^_^ 教えていただけます。 私も、子育てが落ち着いたら再び墓前にお花を供えるつもりで渡仏の夢を諦めていません。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
私は中島巳年夫さんと何年間も文通しておりました。パリで出会いその後もずっと私が年2〜3回パリへ行き、冬になると巳年夫さんが名古屋に戻るので、私も名古屋の実家へ。亡くなる前の巳年夫さんからの手紙で心配になり電話をかけました。とても怯えておりました。
巳年夫さんからは色紙、油絵や巳年夫さんのお父様の俳句、水墨画などをいただきました。
大切に保管しております。
今だに巳年夫さんがいないパリへ行くことができない状態です。
松浦と申します。
私も、この写真を拝見して当時のparisと中島さん、そして仲の良かった画家さん方々を懐かしく思っております。
20年以上前に、滞在し通い詰めたモンマルトルの丘。その時人懐こく話しかけてくださり、皆の中に溶けこませてくださった巳年夫さんの訃報を聞いて、家族の前で大泣きした事を思い出します。
その後毎年数回Parisに通い、観光そっちのけで丘に登っていました。
結婚し、子供を育て、この子達が飛行機に乗れるようになったら皆に会ってもらいたいという願いが、年を重ねる毎に実現出来なくなる寂しい思いでいっぱいになりました。
こちらのコメント欄に投稿されてるakiさん。
お名前、皆の会話の中で時々伺っていたかもしれません。お会いした事ないのに、懐かしい気持ちです。
実は、今回投稿しようと決意したのは、巳年夫さんのお墓まいりがしたく、日本にあることは聞いたのですが、どちらにいらっしゃるのかご存知の方を探しておりました。
もし差し支えなければ、教えていただけると幸いです。
もう数年前のコメントへの返信です。
発見してくださることを祈りつつ…
住田さんのお墓は、ペール=ラシェーズにあります。
そこでのお墓は、30年間管理されると教えていただきました。
詳しい墓碑のNo.については、個別にご連絡いただければと思います。
まだ でみさんが在仏でいらっしゃるならば、現地で尋ねられると良いかもしれません^_^
教えていただけます。
私も、子育てが落ち着いたら再び墓前にお花を供えるつもりで渡仏の夢を諦めていません。