さて。ようやく、姪っ子の結婚式について書く時間ができた。
早いもので、あれからすでに1週間。
新郎の家族やよその村の衆に囲まれて、楽しくやっているだろうか。
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婚礼の朝は、4頭の黒豚をつぶすことから始まった。
早朝から次姉の家に親戚や村の衆が集まって、解体、仕分け。
頭から尻尾まで捨てるところのない豚尽くし料理に取りかかる。
9時前に料理ができあがると、手伝った村の衆に朝飯を供す。
今日の婚礼を司るバイブル学校の教師や司祭もやってきて、朝飯を食べながら式の段取りについて話し合う。
彼らは英語を話すから、打ち合わせも非常に楽である。
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午前10時。
村の教会広場に設営されたテント下に移動して、新郎新婦の入場を待つ。
可愛い先導役に続いてバージンロードに入った姪っ子は、すでに既婚者用の柄物のカレン服に着替えている。
ドタバタして、朝のうちに着ていた未婚者用の白いワンピース姿を撮り忘れたことを後悔した。
介添え役は、白いワンピースを来た従兄の娘である。
祭壇にあがった新郎新婦は、緊張している様子で固い表情で俯いている。
司会役の教師が、それをほぐすようにニコニコしながら式を進めると、次第に笑顔がこぼれるようになった。
合間に、若い男女による聖歌の合唱が入る。
照れまくりながら右手を握り合い、指輪を交換し、教師の持つ聖書に手を重ねて永遠の愛を誓い合う。
最後に、結婚証明書にサインをして、式は終了。
このあと、司祭が新婚の心得(夫婦喧嘩の対処法など)を漫談調で語りだすと、会場は大爆笑。
新郎新婦もすっかりリラックスしたところで、お開きとなった。
この間、約1時間。
あとは再び次姉の家に戻って、参列者に昼食を供することになる。
焼酎の献杯が延々と続く仏式に較べると、きわめて簡潔でよろしい。
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しかし、現実はさほど甘くない。
昼飯を終えて家で休んでいると、ラーが駆け込んで来た。
「村の年寄りたちがお祈りに来てくれたよ!」
そう叫びながら、ドタバタと焼酎や飲み物の支度を始める。
ふとんを取っ払ったバンブーハウスに上がり込んでいるのは、一族の長老や元村長を初めとする10人に近い古老たちである。
見慣れない数人は、新郎の村の年寄りだという。
クリスチャン式の婚礼で出番のなかった彼らが、わが家に場所を移して仏教徒式の婚礼儀式およびバンブーハウスの繁盛祈願を行ってくれることになったらしい。
こうなると逃げ出すわけにはいかず、座長を務めるしかない。
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まずは、6個のぐい呑みを焼酎で満たし、6人の古老に手渡す。
彼らは、その焼酎に言霊を吹き込むような仕草をして、何やら祈祷の言葉を唱えながら壁の隅に垂らしていく。
そして、焼酎を少しだけ啜って私に戻す。
私は、その残りをすべて飲み干さなければならないのである。
さらに、献杯と返杯の応酬。
これで一応の儀式は終わり、古老たちは寿(ことほ)ぎの古謡を唄いだす。
日本で言えば「高砂」みたいなもんだ。
あとはこれが延々と続くのだが、座長はタイミングを計らって古老たちに焼酎をふるまわなければならない。
すると、必ず返杯がかえってくる。
なにしろ、儀式に使う供物用の焼酎は、その場で飲み干すというしきたりがあるのだ。
座の隅で神妙にかしこまっていた新郎新婦が、次姉の家から次々に料理を運んでくる。
クリスチャンの彼らはビールも焼酎も飲まないから、気の毒な限りである。
まわりで見守っていた若い親戚連中も座に加わり、献杯はさらに急ピッチになる。
これで酔っ払わない方がどうかしている。
午後2時過ぎになって、いまどき珍しい激しい雷雨となったが、窓から吹き込む風雨もものかわ、仏教徒たちの宴は延々と続いたのだった。
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翌朝。
近隣のピックアップトラックを連ねて、今度は1時間ほど離れた新郎の家に向かった。
こちらも、朝から料理の支度に追われたのだろう。
上座に座らされるや、ずらりと豚料理が並び、ビールや焼酎が押し寄せる。
もてなしてくれるのは、仏教徒である新郎の兄夫婦と叔父、友人たちである。
新郎新婦は、ここでも神妙に控え、仲睦まじく料理運びや皿洗いに専心している。
おそらく、この二人ならこの環境の中でもうまくやっていけるだろう。
彼らの姿を眺めつつ、ビールの酔いに身を任せた。
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時あたかも、ソンクラーン真っ最中。
戻りのピックアップ荷台に座り込んだ私たちが、水掛祭りの格好の標的になったことは言うまでもない。
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