明け方の母親の独り言が、相変わらず続いている。
カレン語を解せぬ私にとって、時にそれは子守唄のようにも聞こえるのであるけれど、ラーは一度眠りを破られるとなかなか眠れなくなるという。
一番多いのは、ラーに対する執拗な呼びかけであるらしい。
「ボビー、こっちに来て一緒に寝なさい、ボビー」
ボビーというのは、カレン語で赤ちゃんのことで、ラーのニックネームでもある。
「デイ、デイ、デイ、あんた大丈夫かい?」
これも、赤ちゃんへの呼びかけ。
母親にとって、末っ子のラーはいつまで経っても赤ん坊なのであろう(まあ、赤ん坊がそのまま大人になったようなものではあるのだけれど)。
*
「そんなら、一緒に寝てやればいいじゃないか」
「そんなことしたら、ひと晩中喋り続けて、クンターだって眠れなくなるよ。それに、急に喚いたり、怒ったりもするんだから」
喚くときは、何かを怖れているときのようだ。
「クルマが盗まれないように気をつけろ!」
「誰かがナイフを持ってやってくるから逃げろ、逃げろ!」
そして、怒り出すのはひどい目にあった昔のことを思い出すときらしい。
旦那が亡くなった直後、悪い親戚連中に土地や遺品をかすめ取られてしまったこと。
4人の子供を抱えて、食べ物も手に入らないほどの辛酸を舐めたことなどなど。
*
年齢もあって、周囲はいわゆる“惚け”の症状だと見ているようだが、私と接するときはまるではにかむ少女のようで、簡単な意思の疎通にも問題はない。
ただ、私が村に来たときにはすでに視力を失っており、そのことが絶え間ない不安や時おりの感情の爆発につながっているのではあるまいか。
「母さんの目さえ見えたら、一緒に魚獲りに行けるんだけどなあ、そうすれば、気も晴れるだろうし」
この母親こそが、ラーの魚獲りの師匠なのである。
*
朝飯の支度をしていると、また母親が何やら喚き出した。
ラーも、激しく言い返す。
「寝不足の上にいろいろ文句まで言われて、もうたまらないよ」
まあ、意味不明のカレン語による大声でのやりとりは、今や私にとってBGMみたいなものだが、今朝はかなりきついことを言われたらしい。
言葉が通じるというのも、なかなか面倒なことではある。
ついに、ラーが家を飛び出して行った。
「フェーンラー、フェーンラー(ラーの旦那さん)」
母親が、かぼそい声で呼びかけてくる。
「ラーは、どこへ行ったんだい?」
「ああ、隣りのプーノイの家だから心配ありませんよ」
「そうかい、悪いことをしたねえ」
「なあに、あいつは瞬間湯沸かし器だから、5分もしたら忘れてしまいますよ」
それにしても、義母さんも気が強いですねえ。
ラーの負けん気は、あなたからの遺伝なのかな。
そんな軽口を叩きたいところだが、あいにく私にはそんな会話力はない。
*
そのまま仕事場に出かけると、すぐに電話がかかってきた。
「家にいると、また母と言い合いになりそうだから、魚獲りに行ってもいい?」
まだ、朝の9時半である。
だが、今朝の雰囲気を見ると、ダメとは言えない。
「まあ、しっかり頭を冷やしてこい。それから、行く以上はちゃんとおかずを取って来いよ」
昨日は、一日がかりで収穫ゼロ。
去年の洪水で川床に砂が溜まったせいか、今年はどうも魚の数が少ないようである。
「そうだ、おっ母さんを日陰の川原で休ませて、そのまわりで投網を打ってみたらどうだ?」
「嫌だよ、魚が一匹も獲れなかったら、また何を言われるか知れたもんじゃないよ。いまも、早く行け行けって、うるさくて仕方ないんだから」
「・・・」
やれやれ。
この母にして、この娘ありか。
*写真は、寝不足を心配した従兄が作ってくれた湯呑みとぐい呑みである。「寝る前にこれで焼酎をぐいっとやって、こいつで熱いお湯を少し飲めばよく眠れるから」。 なるほど、カレン式お湯割りかあ。心なしか、焼酎にも湯にもかすかな甘みが感じられる。これに、梅干しがあればなあ。
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梅・紫蘇情報、ありがとうございました。実は、オムコイの市場で梅干しを見かけたという仰天情報が入り、嫁に張り込みを命じたところです。
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ishiさん
どっちをぐい呑みにするかは、気分次第ですが、でかい方でぐいっとやれば、村の衆もひっくり返ることでしょう。
確かに、うまそうな梅干しですねえ。チェンダオ洞窟なら、先日お参りしたばかりなのに。くそーっ!