夜半から、また激しい雨が降り出した。
ジャスミン茶を飲み過ぎたためかなかなか眠れず、雨の音を聞いていると、ふと若い頃の痛恨事などが思い出されて、ますます目が冴えてくる。
竹割り壁一枚をへだてた台所から聞こえてくるラーとウーポーの賑やかなおしゃべりに目覚めてみると、すでに8時を過ぎていた。
「おはよう、クンター。朝、うるさくなかった?」
「もちろん、お前さんの大声がうるさいから起きたんだよ」
「もお、そうじゃなくって、7時頃警官がいっぱい来て大騒ぎだったんだよ」
「・・・いや、全然知らない。何か事件でも起きたのか?」
「どうも、隣りのチョッピーがバイクを盗んだらしいの。それで、10人くらいの警官がやってきたんだけど、彼はすぐに裏の崖から川の方に逃げたんだって」
「ふーん、またか」
またか、というのは彼は去年アヘン吸引で警察に引っ張られたことがあるからだが、そのときは両親に泣きつかれたラーが警官の友人に話を通してすぐに釈放されている。
困ったことに、母親はラーの従姉妹にあたるのである。
「で、まだ捕まっていないのか?」
「ううん、警官が引き上げたあとで村長が説得に来て、一緒に警察署に行ったよ。初めは両親が居場所を隠していたんだけど、村長が『このまま逃げ隠れしていると警官に射殺されてしまうぞ』と脅したら、すぐに口を割ったって」
「ハハハ。あの村長もなかなかやるじゃないか」
そんな話をしていると、勝手口になんとチョッピー本人が現れた。警察に出頭したためか、珍しくこぎれいなセーターとズボンを着用している。
「なんだ、もう釈放されたのか?」
「なんだかよく分からないけど、あたしの名前を出したらいったん家に戻ってもいいって言われたんだって。今度もまた、あたしに助けて欲しいっていうんだけど、本当にバイクを盗んだんなら助けられないって断ったところ」
そこで、またなにやら短く言葉を交わしてチョッピーが家に戻りかけた。
ラーが呼び止めて、「クンターが焼酎を飲んでいけって言ってるよ」と言いつつ薬草入りの焼酎瓶を差し出した。
「おいおい、俺はなんにも言っちゃあいないぞ。泥棒にくれてやる酒なんぞない」
「だって彼、泣きそうになって『さよなら』って言うんだもん」
なにせ、乳飲み子児のときから面倒をみているのだから、別れの盃というところなのだろう。
もっとも、私は足の怪我のために献杯を断ったので、彼がひとりで一気に3杯ほどあおった。
最後まで、私の目を見ることはなかった。
*
「ラーおばさん、区長さんが至急家に来てほしいって言ってます!」
遅めの朝食を終えたところへ、甥っ子のひとりが走り込んできた(まわりは、親戚だらけである)。
チョッピーが警察で名前を出したため、ラーにも捜査に対する協力を求めたいということらしい。
「あの区長、ひとりじゃ何もできないんだから。まったく、なんでこんなことに巻き込まれなきゃいけないんだろう!」
口ではそう言いつつも、なんだかいそいそした様子で化粧を始め、女王のシンボルカラーであるピンク色のポロシャツをまとっている。
これは、ラーの“勝負服”である。
人に頼られると断れないどころか、進んで事件に首を突っ込みたがる“世話焼きおばさん”の面目躍如である。
*
電話による中間報告によれば、チョッピーには1件の窃盗容疑と1件の窃盗未遂容疑がかけられているのが、まだ決定的な証拠はあがっていないらしい。
問題は、バイクを盗まれた教師がチョッピーを強く疑っている点で、日本では考えられないほど社会的地位の高い教師の訴えは想像以上に強い力を持つ。
なにしろ彼は、われわれがチェンマイに出ているときにわが家の床下から材木を盗み出し、それをこの教師に売り込みに行ったところ「これはクンターのものに決まっているから、手を出すな」と諭されてまた元に戻したという前歴をもっている。
驚いたことには、もう1件の窃盗未遂容疑事件もわが家が舞台になったらしいのである。
というのは一昨日のこと、ハンドンの家具工場で働いている甥(ラーの亡兄の長男)が帰省して遊びに来たのだが、夜になって彼のバイクを借りたチョッピーが、何時間も戻ってこないということがあった。
なんと、チョッピーはこのバイクを村のあちこちの家に持ち込んで2,000バーツで売りつけようとしたというのである。
最後は500バーツまで値を下げたが、結局誰にも相手にされず、このことが区長を通じて警察の耳に入って、今朝の大捕物と相成ったらしい。
こんな漫画みたいなことをたびたびやらかすのも、結局、アヘンを吸いたいがためである。
アヘンさえ吸えれば、後先のことなどなにも考えず、とりあえず目の前にある金になりそうなものに手を出してしまうのだ。
普段の彼は心根が優しく、トイレの汲み取りなど人の嫌がる作業も進んで買って出てくれるのであるが、この優しさは“弱さ”にもつながり、何度試みてもアヘンから離脱できない。
結婚して小さな子供もいるというのに、彼らはもう何年も前に実家に連れ戻されてしまった。
妻や子供を思ってひとり泪を流す姿には同情もするが、結局は自業自得である。
もちろん、背後には山岳民族を取り巻く貧困や家庭環境という問題もあるのだけれど、弟はすでにアヘンと縁を切ってオボートー(地区行政事務所)の道路工事などに従事しているから、言い訳はできまい。
さて、この事件の顛末はどうなるのか分からないが、せっかくの日曜日というのに、なかなか気分が晴れない。
☆応援クリックを、よろしく。
ジャスミン茶を飲み過ぎたためかなかなか眠れず、雨の音を聞いていると、ふと若い頃の痛恨事などが思い出されて、ますます目が冴えてくる。
竹割り壁一枚をへだてた台所から聞こえてくるラーとウーポーの賑やかなおしゃべりに目覚めてみると、すでに8時を過ぎていた。
「おはよう、クンター。朝、うるさくなかった?」
「もちろん、お前さんの大声がうるさいから起きたんだよ」
「もお、そうじゃなくって、7時頃警官がいっぱい来て大騒ぎだったんだよ」
「・・・いや、全然知らない。何か事件でも起きたのか?」
「どうも、隣りのチョッピーがバイクを盗んだらしいの。それで、10人くらいの警官がやってきたんだけど、彼はすぐに裏の崖から川の方に逃げたんだって」
「ふーん、またか」
またか、というのは彼は去年アヘン吸引で警察に引っ張られたことがあるからだが、そのときは両親に泣きつかれたラーが警官の友人に話を通してすぐに釈放されている。
困ったことに、母親はラーの従姉妹にあたるのである。
「で、まだ捕まっていないのか?」
「ううん、警官が引き上げたあとで村長が説得に来て、一緒に警察署に行ったよ。初めは両親が居場所を隠していたんだけど、村長が『このまま逃げ隠れしていると警官に射殺されてしまうぞ』と脅したら、すぐに口を割ったって」
「ハハハ。あの村長もなかなかやるじゃないか」
そんな話をしていると、勝手口になんとチョッピー本人が現れた。警察に出頭したためか、珍しくこぎれいなセーターとズボンを着用している。
「なんだ、もう釈放されたのか?」
「なんだかよく分からないけど、あたしの名前を出したらいったん家に戻ってもいいって言われたんだって。今度もまた、あたしに助けて欲しいっていうんだけど、本当にバイクを盗んだんなら助けられないって断ったところ」
そこで、またなにやら短く言葉を交わしてチョッピーが家に戻りかけた。
ラーが呼び止めて、「クンターが焼酎を飲んでいけって言ってるよ」と言いつつ薬草入りの焼酎瓶を差し出した。
「おいおい、俺はなんにも言っちゃあいないぞ。泥棒にくれてやる酒なんぞない」
「だって彼、泣きそうになって『さよなら』って言うんだもん」
なにせ、乳飲み子児のときから面倒をみているのだから、別れの盃というところなのだろう。
もっとも、私は足の怪我のために献杯を断ったので、彼がひとりで一気に3杯ほどあおった。
最後まで、私の目を見ることはなかった。
*
「ラーおばさん、区長さんが至急家に来てほしいって言ってます!」
遅めの朝食を終えたところへ、甥っ子のひとりが走り込んできた(まわりは、親戚だらけである)。
チョッピーが警察で名前を出したため、ラーにも捜査に対する協力を求めたいということらしい。
「あの区長、ひとりじゃ何もできないんだから。まったく、なんでこんなことに巻き込まれなきゃいけないんだろう!」
口ではそう言いつつも、なんだかいそいそした様子で化粧を始め、女王のシンボルカラーであるピンク色のポロシャツをまとっている。
これは、ラーの“勝負服”である。
人に頼られると断れないどころか、進んで事件に首を突っ込みたがる“世話焼きおばさん”の面目躍如である。
*
電話による中間報告によれば、チョッピーには1件の窃盗容疑と1件の窃盗未遂容疑がかけられているのが、まだ決定的な証拠はあがっていないらしい。
問題は、バイクを盗まれた教師がチョッピーを強く疑っている点で、日本では考えられないほど社会的地位の高い教師の訴えは想像以上に強い力を持つ。
なにしろ彼は、われわれがチェンマイに出ているときにわが家の床下から材木を盗み出し、それをこの教師に売り込みに行ったところ「これはクンターのものに決まっているから、手を出すな」と諭されてまた元に戻したという前歴をもっている。
驚いたことには、もう1件の窃盗未遂容疑事件もわが家が舞台になったらしいのである。
というのは一昨日のこと、ハンドンの家具工場で働いている甥(ラーの亡兄の長男)が帰省して遊びに来たのだが、夜になって彼のバイクを借りたチョッピーが、何時間も戻ってこないということがあった。
なんと、チョッピーはこのバイクを村のあちこちの家に持ち込んで2,000バーツで売りつけようとしたというのである。
最後は500バーツまで値を下げたが、結局誰にも相手にされず、このことが区長を通じて警察の耳に入って、今朝の大捕物と相成ったらしい。
こんな漫画みたいなことをたびたびやらかすのも、結局、アヘンを吸いたいがためである。
アヘンさえ吸えれば、後先のことなどなにも考えず、とりあえず目の前にある金になりそうなものに手を出してしまうのだ。
普段の彼は心根が優しく、トイレの汲み取りなど人の嫌がる作業も進んで買って出てくれるのであるが、この優しさは“弱さ”にもつながり、何度試みてもアヘンから離脱できない。
結婚して小さな子供もいるというのに、彼らはもう何年も前に実家に連れ戻されてしまった。
妻や子供を思ってひとり泪を流す姿には同情もするが、結局は自業自得である。
もちろん、背後には山岳民族を取り巻く貧困や家庭環境という問題もあるのだけれど、弟はすでにアヘンと縁を切ってオボートー(地区行政事務所)の道路工事などに従事しているから、言い訳はできまい。
さて、この事件の顛末はどうなるのか分からないが、せっかくの日曜日というのに、なかなか気分が晴れない。
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一度、そう言ったところで社会復帰を目指してみては如何でしょうか?
http://blogs.yahoo.co.jp/thinkiwi/26094155.html
そこを紹介した記事です。