すっかり酔っ払った村長が、ラーの目を盗んで私をカラオケレストランの外に連れ出した。
「クンター、いくら払う?」
「え?いくらって、何のために?」
「うん。俺はラーが殴られて、とても気分が悪い。もしもクンターが望むなら、金で話をつけて加害者のバカを消してもらうこともできるよ」
彼は右手で拳銃を撃つ仕草をし、そのあとでシャベルで土を掘って何かを埋めるようなジェスチャーをした。
《加害者を殺して、死体を土に埋める?》
私がそのジェスチャーを繰り返してみせると、彼はうんうんと頷いた。
「で、いくら払う?あの警官に」
指差した先には、われわれと同行したふたりとは別の男が座ってカラオケを歌っている。
私もかなり酔っていた。
混乱する頭の中で、「そうか、タイではそういう解決方法もあるのか」などと一瞬考えたことを正直に告白しよう。
だが、そこへラーが姿を見せたので、すぐに正気に戻った。
「おい、おい。悪い冗談はやめてくれよ。いくらなんでも、それはないだろう。さあ、帰ろう」
私は精算をすませ、あやうく“殺し屋”に仕立てられそうになった気の毒な警官と握手を交わして別れた。
*
翌朝、昨夜のあぶない会話のことなどケロリと忘れた村長が、加害者を引き連れてわが家にやってきた。
私とラーが車内に入り、加害者と付添のプーノイ(隣家の主)がピックアップトラックの荷台に座る。
警察署に着くと、目つきの鋭い警官たちが自動小銃を抱えてウロウロしている。
何か、事件が起きたらしく、なかなか取り調べが始まらない。
しびれを切らした私が、昨夜仲良くなったカレン族の警官に電話すると、非番だったらしい彼が民族衣裳を着てすぐに現れた。
昨夜のカラオケ熱唱時とは違って、ドキッとするほど目つきが鋭い。
*
彼ともうひとりの警官の前に、加害者と被害者が少し距離をおいて並んで座らされた。
警官が加害者になにかひとこと言うと、加害者が立ち上がって「俺はなんにもやっちゃいない!証人もいっぱいいる!」と叫んだ。
警官が村長と加害者に「証人を連れてくるように」と命じた。
その間、私とラーは待ちぼうけだ。
ラーが警官に抗議すると、彼は「ジャイエンエン(落ち着いて)」と言いながら両手で空気を押さえるような仕草をした。
彼の自信満々の表情を見て、私は「どんな嘘の証人が出てきても大丈夫だな」と確信した。
*
「お前たちが絶対に何もしていないと言い張るのなら、全員でチェンマイの裁判所に行って決着を着けなくちゃいけない。見てのとおり、被害者は頬や腕に傷を負っているし、証拠の写真も撮ってあるから、そんな言い訳は絶対に通用しないぞ。裁判で負けたら、加害者は10年は刑務所入りだし、嘘をついた証人も罪に問われる。どうだ、みんなでチェンマイに行くか?」
この決めゼリフで、それまで強硬に無罪を主張していた加害者ががっくりと首を垂れた。
警官はその様子を見てから私の方に目をやり、「クンターはどうです?チェンマイに行って決着を着けますか?」
私は、「もちろん!」と答えて、さらに追い討ちをかける。
だが、ラーはなにやら迷っている様子だ。
目には、涙を浮かべている。
「・・・クンター、わたしは今すぐこの子を家に返してやりたい」
「え、どういうことだ?こいつを刑務所に叩き込みたいと言ったのはお前さんだぞ」
「・・・でも、彼には赤ん坊がいるでしょ。10年も刑務所に入ったら、誰が若い嫁と子どもの面倒を見るの?」
「それは、お前さんが心配することじゃない。とにかく、こいつは女の、しかも叔母であるお前さんを殴りつけたんだから、その罪は償わなくちゃならない」
「・・・それはそうだけど、赤ん坊のことを考えると、わたしは彼をチェンマイの刑務所には入れられないよお」
「オムコイの刑務所にも入れないでいいのか?1日も入れないでいいのか?」
「・・・うん、今すぐ家に返してやりたい」
「・・・そうか、それなら仕方ないな。だけど、こいつが今度何かやらかしたら、すぐに刑務所行きだぞ。二度と許さないから、そのつもりで反省するように伝えなさい」
このやりとりを聞いた警官はすっと立ち上がり、「きちんと謝罪するんだぞ。よし、あとは警官抜きで話し合うように」と席を離れた。
同じカレン族どおし、しかもラーの家族関係や気性を知っている警官は、初めからこうした結末を見通していたのかもしれない。
*
ちょうど昼時になったので、村長やプーノイに声をかけて食堂に入った。
驚いたことに、ラーは加害者や証人ふたりにも焼酎と飯をおごるという。
理解不能な事態の連続に翻弄されて、私の怒りと疲れは頂点に達していた。
目の前に座った加害者を“裸絞め”で締め落としたいという衝動を抑えながら、苦い苦いビールをいがらっぽい咽喉に流し込んだ。
*
「やっぱり、あの殺し屋に頼んで、やっちまうか・・・」
そんなブラックジョークを呟きながら、ひとり苦笑するばかりだ。
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「クンター、いくら払う?」
「え?いくらって、何のために?」
「うん。俺はラーが殴られて、とても気分が悪い。もしもクンターが望むなら、金で話をつけて加害者のバカを消してもらうこともできるよ」
彼は右手で拳銃を撃つ仕草をし、そのあとでシャベルで土を掘って何かを埋めるようなジェスチャーをした。
《加害者を殺して、死体を土に埋める?》
私がそのジェスチャーを繰り返してみせると、彼はうんうんと頷いた。
「で、いくら払う?あの警官に」
指差した先には、われわれと同行したふたりとは別の男が座ってカラオケを歌っている。
私もかなり酔っていた。
混乱する頭の中で、「そうか、タイではそういう解決方法もあるのか」などと一瞬考えたことを正直に告白しよう。
だが、そこへラーが姿を見せたので、すぐに正気に戻った。
「おい、おい。悪い冗談はやめてくれよ。いくらなんでも、それはないだろう。さあ、帰ろう」
私は精算をすませ、あやうく“殺し屋”に仕立てられそうになった気の毒な警官と握手を交わして別れた。
*
翌朝、昨夜のあぶない会話のことなどケロリと忘れた村長が、加害者を引き連れてわが家にやってきた。
私とラーが車内に入り、加害者と付添のプーノイ(隣家の主)がピックアップトラックの荷台に座る。
警察署に着くと、目つきの鋭い警官たちが自動小銃を抱えてウロウロしている。
何か、事件が起きたらしく、なかなか取り調べが始まらない。
しびれを切らした私が、昨夜仲良くなったカレン族の警官に電話すると、非番だったらしい彼が民族衣裳を着てすぐに現れた。
昨夜のカラオケ熱唱時とは違って、ドキッとするほど目つきが鋭い。
*
彼ともうひとりの警官の前に、加害者と被害者が少し距離をおいて並んで座らされた。
警官が加害者になにかひとこと言うと、加害者が立ち上がって「俺はなんにもやっちゃいない!証人もいっぱいいる!」と叫んだ。
警官が村長と加害者に「証人を連れてくるように」と命じた。
その間、私とラーは待ちぼうけだ。
ラーが警官に抗議すると、彼は「ジャイエンエン(落ち着いて)」と言いながら両手で空気を押さえるような仕草をした。
彼の自信満々の表情を見て、私は「どんな嘘の証人が出てきても大丈夫だな」と確信した。
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「お前たちが絶対に何もしていないと言い張るのなら、全員でチェンマイの裁判所に行って決着を着けなくちゃいけない。見てのとおり、被害者は頬や腕に傷を負っているし、証拠の写真も撮ってあるから、そんな言い訳は絶対に通用しないぞ。裁判で負けたら、加害者は10年は刑務所入りだし、嘘をついた証人も罪に問われる。どうだ、みんなでチェンマイに行くか?」
この決めゼリフで、それまで強硬に無罪を主張していた加害者ががっくりと首を垂れた。
警官はその様子を見てから私の方に目をやり、「クンターはどうです?チェンマイに行って決着を着けますか?」
私は、「もちろん!」と答えて、さらに追い討ちをかける。
だが、ラーはなにやら迷っている様子だ。
目には、涙を浮かべている。
「・・・クンター、わたしは今すぐこの子を家に返してやりたい」
「え、どういうことだ?こいつを刑務所に叩き込みたいと言ったのはお前さんだぞ」
「・・・でも、彼には赤ん坊がいるでしょ。10年も刑務所に入ったら、誰が若い嫁と子どもの面倒を見るの?」
「それは、お前さんが心配することじゃない。とにかく、こいつは女の、しかも叔母であるお前さんを殴りつけたんだから、その罪は償わなくちゃならない」
「・・・それはそうだけど、赤ん坊のことを考えると、わたしは彼をチェンマイの刑務所には入れられないよお」
「オムコイの刑務所にも入れないでいいのか?1日も入れないでいいのか?」
「・・・うん、今すぐ家に返してやりたい」
「・・・そうか、それなら仕方ないな。だけど、こいつが今度何かやらかしたら、すぐに刑務所行きだぞ。二度と許さないから、そのつもりで反省するように伝えなさい」
このやりとりを聞いた警官はすっと立ち上がり、「きちんと謝罪するんだぞ。よし、あとは警官抜きで話し合うように」と席を離れた。
同じカレン族どおし、しかもラーの家族関係や気性を知っている警官は、初めからこうした結末を見通していたのかもしれない。
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ちょうど昼時になったので、村長やプーノイに声をかけて食堂に入った。
驚いたことに、ラーは加害者や証人ふたりにも焼酎と飯をおごるという。
理解不能な事態の連続に翻弄されて、私の怒りと疲れは頂点に達していた。
目の前に座った加害者を“裸絞め”で締め落としたいという衝動を抑えながら、苦い苦いビールをいがらっぽい咽喉に流し込んだ。
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「やっぱり、あの殺し屋に頼んで、やっちまうか・・・」
そんなブラックジョークを呟きながら、ひとり苦笑するばかりだ。
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