はるか日本から、「大人のふりかけ」「各種佃煮」「腰痛用湿布薬」および女将向けの「手鏡」「鳩サブレ」などが空を飛んでやってきた!
も、もとい!
嬉しさのあまり、ついつい逆上してしまったわい。
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と、去年の今頃も同じようなバカな書き出しで紹介したのだったが、そのお土産を携えたやってきたのは、フェイスブックを通じて知り合った野澤一良さんとそのご一行である。
お仲間の阿部砂貴さん、鈴木ほのかさんとも1年振りの再会で、彼らは空き時間を利用して、わが家にも立ち寄ってくれたのだ。
宿ゲストの出迎えを兼ねて、昼過ぎに四つ角脇の食堂に行くと、今回は3台のワゴン車に乗り込んできた総勢20数名が昼食を摂っているところだった。
彼らの最終目的地は、オムコイの町(オムコイ村)からさらに80キロも奥まったところにあるフォイナムカオ。
以前、日本軍の戦闘機らしいエンジン(どうやら「隼」のものらしい)が高校に展示してあると紹介したメトゥンの先だ。
私よりもひとつ年下の野澤さんは、なんと20年も前からこの地域のティワタ村に通って子供たちを交流支援しているのだという。
拠点となっているのがフォイナムカオ教会で、ここには山奥の子供たちが学校に通うための寮や訪問者のための宿泊施設があるそうだ。
興味のある方は、昨年8月20日付けの記事をご参照いただきたい。
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さて、野澤さんたちと歓談していると、食事を終えた数名の方が挨拶に来てくれた。
皆さん、野澤さんの薦めで拙著『「遺された者こそ喰らえ」とトォン師は言った』(晶文社)を読んでくれ、当ブログにも目を通しているそうだ。
口々に感想を述べてくれ、順々に記念撮影。
番頭さん、なんだか映画スターにでもなったような気分(ホントはドギマギ)。
ところがどっこい、どちらかと言えば番頭さんよりも女将の方が人気が高いようで、ラーの不在を惜しむ声が強い(く、悔しい!、ちょっと、美化しすぎたかなあ・・・)
残念ながら、この日ラーは3男ポーが学ぶ工業専門学校の父兄面談のために、早朝からメーサリアンに出かけてしまったのだ。
間の悪いことは続くもので、朝のうちにオンボロバイクが故障。
正午には修理が終わるはずだったのだが、1時に近いこの時点でも各パーツは分解されたまま。
バスでやってくるゲストを出迎えたあとで、一緒にわが村に案内する心づもりだったのに、このままではゲストの搬送もできやしない。
皆さんも、1台のクルマを別行動にしてわが家を訪ねる計画だったというのに、やむなく、それをお断りして修理屋の尻を叩きに行かざるを得なくなった。
楽しみにしてくれていた皆さん、本当にごめんなさい。
さらには、入れ替わり立ち代わりの挨拶で、ただでさえ脳細胞の死滅が激しい番頭さん、皆さんのお名前を記憶することができなかった。
さらには、バイクの故障騒ぎでカメラも忘れてしまい、その姿を写真でご紹介することもできない。
お詫びの代わりに、女将と村の写真でも。
午後1時ごろ、野澤さん一行はワゴン車を連ねてメトゥン方面に向かった。
別れ際に、砂貴さんがそっと近寄って、拙著を読んだ感想を伝えてくれる。
それは、思わず涙が滲むくらいに嬉しいものだった(決して、涙腺の老化現象ではありませんぞお)。
午後1時過ぎ、チェンマイからのゲストも無事に到着。
昼食のあとオムコイコーヒーを味わってもらいつつ、さらに1時間近くも待ってから、ようやく修理完了の報告が入ったのだった。
やれやれ。
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昨年末,僕が1175号線からメトゥンに向かう山中で道に迷った際,サムンガオのバイクツーリストたちに誘われるがままに付いていったところの村ではないでしょうか?
僕が覚えている村の名前は「フォイナムエン」です(ジェスチャーのみの会話?でしたからそれが本当に村の名前かは信用性低いです)。プミポンダムの西側の山中にその村はあると思います。もっともグーグルアースで探したのですが見つけることができませんでした。
あの辺りはすごく興味がありますし必ずまた訪れようと決めています。しかし,なにも情報がありません。だから余計に気になります。
「フォイナムカオ」が僕の行った「フォイナムエン」であれば!
チェンマイ~オムコイを結ぶ1009号線のどん詰まりです。わが宿はバス停脇の四つ角を右折しますが、メトゥンは左折して80キロほど奥まったところにあります。