昨日ほど憂鬱な日はなかった。
バンコクに行かなければならなくなったベンと、どうにも連絡がとれないのである。
おそらく、父親に携帯をとりあげられたか、使用禁止を命じられたかしたのだろうが、何度かけてもコールバック・サービスの案内が流れるばかり。
いつもはすぐにかけ直してくるだけに、「新しい携帯がうまく作動していないのではないか」「心身の疲労が極度に達して入院したのではないか」などと、さまざまな心配と不安が頭をもたげてくる。
緊張をほぐすために朝から2時間のマッサージを受け、その足でワット・プラシンに向かった。
プラシン寺は有名な観光寺だが、本堂の仏陀の表情がとても穏やかで、参っていると心が落ち着いてくる。
通常は三拝したあとに正座して数分の間仏陀の前で過ごすのだが、昨日はとても去りがたく、ベンの無事を祈ったあとであぐらをかき1時間ほど長居をさせてもらった。
もちろん、瞑想するような心境ではないから、もっぱら仏陀にあれこれと語りかけてみるのだが、もちろん答えはにわかには返ってこない。
結局のところ、「あれほど仏陀をあがめ信じている者に対して、なぜこんなにひどい仕打ちをしなければならないのか」という問いをぶつけ続けることになる。
茫漠の中で、確かに感じられるのは唯一、壮大な本堂を吹き抜けていく涼やかな風だけであった。
*
宿に戻って“野生のカレン族”ラーの部屋をのぞくと、なぜかベッドに横たわっている。
「どうした?」
声をかけると、うめき声をあげながらベッドから起き上がった。
「マッサージで痛めたわき腹が痛くて、歩けないの。もしかしたら、骨が折れたのかもしれない・・・」
1週間ほど前に、「甥っ子の帰りを待って部屋に閉じこもっていると頭が痛くなる」という彼女を、私が毎日ウオーキングをしている公園に誘ったことがあった。
そのとき、公園の一隅で一緒に1時間のマッサージを受けたのだが、終わりごろに彼女が「オーイ!」というタイ人独特の叫び声をあげた。
驚いてみると、ちょうど男性マッサージ師が背後からひねりを加えているところだった。
そのあとから、彼女は胃や腹部のあたりの痛みを訴え始めたのだが、どうも痛む箇所がハッキリしない。
その間も彼女は飲みに行ったり踊りに行ったりしていたから、こちらもそれほど気にしていなかったのだが、今日になって、その痛みがわき腹に集中してきたのだという。
まさかマッサージで骨が折れるとは思えないが、確かにそのときのマッサージ師は二人とも男で、私も何度か「痛い、強すぎる」とクレームをつけた。
「ひょっとして、あばらの軟骨でも痛めたのかもしれない」
彼女の痛がり方を見ていると、いつまでも笑ってばかりもいられない。
同行した責任を感じ、痛み止めの塗り薬をプレゼントして様子を見ることにした。
初めて飲みに行って以来、彼女とはなんだか家族のような付き合いになっている。
飯を食いに行ったり、甥っ子を交えて飲んだりしているうちに、彼女の波乱万丈の人生についても、かなり聞き知った。
何かにつけて、お互いに声をかけあう仲だ。
だが、今夜はいつものように振舞うのは、ちと辛い。
早々に部屋に引きこもって、ひとりになることにした。
*
だが、今朝になってもベンからの電話はない。
たぶん、バンコクに移動中なのだろうが、父親からの命令で携帯も自由に使わないように叔母が監視しているのだろう。
こうなったら、彼女を信じて待つしかない。
腹を決めて、ウオーキングに出かけることにした。
大量の汗を流して戻ると、ラーが起きだしてきた。
腹が減ったというので、わき腹の痛みのお詫びに朝飯をおごることにした。
彼女の味の好みは極辛なので、付き合うのはしんどいがやむを得ない。
「昨日は痛み止めをありがとう。でも、あなたも相当疲れた顔をしていたね」
「ああ、かなりしんどかったよ」
「たまには気分転換をしなきゃ駄目だよ。そうだ、フェイトウンターオ池に行かない?おととい、友だちのファランがバイクで連れて行ってくれたんだけど、おいしい魚は食べられるし、泳ぎもできるし楽しいよ」
どうせ、待つだけの身だ。
行ってみるか。
そう決めて準備をしていると、宿の一室からエレンが起きだしてきた。
彼女はラーの友人で、ラーの村にも滞在したことがあるという。
文字通りフランス人形のような愛らしい顔で、フランスなまりの強い英語をおっとりと話すが、ラーによれば「好物は男とマリファナ」だそうな。
そこで、衆議一決。3人でソンテオ(乗り合いタクシー)をチャーターして、湖畔のリゾート地に向かった。
ソムダム(パパイヤサラダ)、えびの唐辛子漬け踊り食い、魚の香菜蒸し焼き、魚のから揚げ・・・。
ラーが頼んだ品々はなかなかにうまく、とりわけ、村の調理法を指示してつくってもらった魚(ピラニアのような形状)の蒸し焼きは絶品だった。
24歳の愛らしいフランス娘と38歳のたくましい美人野生児と3人でにぎやかにテーブルを囲んでいると、やっとベンから電話がかかってきた。
「ベン、大丈夫か?」
そう聞かずにはいられない疲れきった声だ。
「いま、バンコクに着いたところ」
・・・本当に村を離れて、バンコクまで行ってしまったんだ。
・・・なんだか、信じられない話だ。
「叔母さんの家か?」
「うん。キヨシ、わたし、すぐに携帯の電源を切らなくちゃいけないの」
・・・やっぱり、そうだったんだ。
叔母の目を盗んで、こっそりかけているのだろう。
「でも、どうか心配しないでね」
「分かった、とても心配だけど心配しないようにするよ。で、いつかけ直せばいい?」
「ううん、あとでこちらからかけるから。とにかく、しばらくは電話も使えないし、外にも出られないの」
遠くから、叔母の話し声が聞こえた。
あわてて、ベンがさよならを言って電話を切った。
急に呼び出され、10時間も運転してランパーンの実家に戻り、再びベンを連れて(しかも監視しながら)バンコクにトンボ返りした叔母も、さぞやカリカリしていることだろう。
しばらくは、様子を見るしかない。
そのうちに、監視の目もゆるむに違いない。
*
まるで現実味のないシチュエーションにおかれてしまった自分の目の前で、きわめて現実的なカレン族の女が「ハロー、ダーリン」などと言いながら、電話を切った私をからかっている。
その横で、若いフランス娘が艶然と微笑んでいる。
この美しい湖畔の光景と、ベンがいるはずのバンコクの光景が、どちらも同じ現実であるとはとても思えない。
私は、ラーの勧めでビールをウイスキーに切り換えて呆然と飲み始めた。
二人の女は、よく飲み、よく食べ、よく喋り、ついには水着に着替えて茶色の湖で泳ぎ始めた。
カメラを向けると、なんとふたりはシンクロナイズド・スイミングのポーズを真似て湖上に両足を突き出した。
この自由奔放なふたりの女に較べ、ベンはなんという特異な環境の中で生きていることだろう。
私は、ただ呆然とグラスを重ねる。
バンコクに行かなければならなくなったベンと、どうにも連絡がとれないのである。
おそらく、父親に携帯をとりあげられたか、使用禁止を命じられたかしたのだろうが、何度かけてもコールバック・サービスの案内が流れるばかり。
いつもはすぐにかけ直してくるだけに、「新しい携帯がうまく作動していないのではないか」「心身の疲労が極度に達して入院したのではないか」などと、さまざまな心配と不安が頭をもたげてくる。
緊張をほぐすために朝から2時間のマッサージを受け、その足でワット・プラシンに向かった。
プラシン寺は有名な観光寺だが、本堂の仏陀の表情がとても穏やかで、参っていると心が落ち着いてくる。
通常は三拝したあとに正座して数分の間仏陀の前で過ごすのだが、昨日はとても去りがたく、ベンの無事を祈ったあとであぐらをかき1時間ほど長居をさせてもらった。
もちろん、瞑想するような心境ではないから、もっぱら仏陀にあれこれと語りかけてみるのだが、もちろん答えはにわかには返ってこない。
結局のところ、「あれほど仏陀をあがめ信じている者に対して、なぜこんなにひどい仕打ちをしなければならないのか」という問いをぶつけ続けることになる。
茫漠の中で、確かに感じられるのは唯一、壮大な本堂を吹き抜けていく涼やかな風だけであった。
*
宿に戻って“野生のカレン族”ラーの部屋をのぞくと、なぜかベッドに横たわっている。
「どうした?」
声をかけると、うめき声をあげながらベッドから起き上がった。
「マッサージで痛めたわき腹が痛くて、歩けないの。もしかしたら、骨が折れたのかもしれない・・・」
1週間ほど前に、「甥っ子の帰りを待って部屋に閉じこもっていると頭が痛くなる」という彼女を、私が毎日ウオーキングをしている公園に誘ったことがあった。
そのとき、公園の一隅で一緒に1時間のマッサージを受けたのだが、終わりごろに彼女が「オーイ!」というタイ人独特の叫び声をあげた。
驚いてみると、ちょうど男性マッサージ師が背後からひねりを加えているところだった。
そのあとから、彼女は胃や腹部のあたりの痛みを訴え始めたのだが、どうも痛む箇所がハッキリしない。
その間も彼女は飲みに行ったり踊りに行ったりしていたから、こちらもそれほど気にしていなかったのだが、今日になって、その痛みがわき腹に集中してきたのだという。
まさかマッサージで骨が折れるとは思えないが、確かにそのときのマッサージ師は二人とも男で、私も何度か「痛い、強すぎる」とクレームをつけた。
「ひょっとして、あばらの軟骨でも痛めたのかもしれない」
彼女の痛がり方を見ていると、いつまでも笑ってばかりもいられない。
同行した責任を感じ、痛み止めの塗り薬をプレゼントして様子を見ることにした。
初めて飲みに行って以来、彼女とはなんだか家族のような付き合いになっている。
飯を食いに行ったり、甥っ子を交えて飲んだりしているうちに、彼女の波乱万丈の人生についても、かなり聞き知った。
何かにつけて、お互いに声をかけあう仲だ。
だが、今夜はいつものように振舞うのは、ちと辛い。
早々に部屋に引きこもって、ひとりになることにした。
*
だが、今朝になってもベンからの電話はない。
たぶん、バンコクに移動中なのだろうが、父親からの命令で携帯も自由に使わないように叔母が監視しているのだろう。
こうなったら、彼女を信じて待つしかない。
腹を決めて、ウオーキングに出かけることにした。
大量の汗を流して戻ると、ラーが起きだしてきた。
腹が減ったというので、わき腹の痛みのお詫びに朝飯をおごることにした。
彼女の味の好みは極辛なので、付き合うのはしんどいがやむを得ない。
「昨日は痛み止めをありがとう。でも、あなたも相当疲れた顔をしていたね」
「ああ、かなりしんどかったよ」
「たまには気分転換をしなきゃ駄目だよ。そうだ、フェイトウンターオ池に行かない?おととい、友だちのファランがバイクで連れて行ってくれたんだけど、おいしい魚は食べられるし、泳ぎもできるし楽しいよ」
どうせ、待つだけの身だ。
行ってみるか。
そう決めて準備をしていると、宿の一室からエレンが起きだしてきた。
彼女はラーの友人で、ラーの村にも滞在したことがあるという。
文字通りフランス人形のような愛らしい顔で、フランスなまりの強い英語をおっとりと話すが、ラーによれば「好物は男とマリファナ」だそうな。
そこで、衆議一決。3人でソンテオ(乗り合いタクシー)をチャーターして、湖畔のリゾート地に向かった。
ソムダム(パパイヤサラダ)、えびの唐辛子漬け踊り食い、魚の香菜蒸し焼き、魚のから揚げ・・・。
ラーが頼んだ品々はなかなかにうまく、とりわけ、村の調理法を指示してつくってもらった魚(ピラニアのような形状)の蒸し焼きは絶品だった。
24歳の愛らしいフランス娘と38歳のたくましい美人野生児と3人でにぎやかにテーブルを囲んでいると、やっとベンから電話がかかってきた。
「ベン、大丈夫か?」
そう聞かずにはいられない疲れきった声だ。
「いま、バンコクに着いたところ」
・・・本当に村を離れて、バンコクまで行ってしまったんだ。
・・・なんだか、信じられない話だ。
「叔母さんの家か?」
「うん。キヨシ、わたし、すぐに携帯の電源を切らなくちゃいけないの」
・・・やっぱり、そうだったんだ。
叔母の目を盗んで、こっそりかけているのだろう。
「でも、どうか心配しないでね」
「分かった、とても心配だけど心配しないようにするよ。で、いつかけ直せばいい?」
「ううん、あとでこちらからかけるから。とにかく、しばらくは電話も使えないし、外にも出られないの」
遠くから、叔母の話し声が聞こえた。
あわてて、ベンがさよならを言って電話を切った。
急に呼び出され、10時間も運転してランパーンの実家に戻り、再びベンを連れて(しかも監視しながら)バンコクにトンボ返りした叔母も、さぞやカリカリしていることだろう。
しばらくは、様子を見るしかない。
そのうちに、監視の目もゆるむに違いない。
*
まるで現実味のないシチュエーションにおかれてしまった自分の目の前で、きわめて現実的なカレン族の女が「ハロー、ダーリン」などと言いながら、電話を切った私をからかっている。
その横で、若いフランス娘が艶然と微笑んでいる。
この美しい湖畔の光景と、ベンがいるはずのバンコクの光景が、どちらも同じ現実であるとはとても思えない。
私は、ラーの勧めでビールをウイスキーに切り換えて呆然と飲み始めた。
二人の女は、よく飲み、よく食べ、よく喋り、ついには水着に着替えて茶色の湖で泳ぎ始めた。
カメラを向けると、なんとふたりはシンクロナイズド・スイミングのポーズを真似て湖上に両足を突き出した。
この自由奔放なふたりの女に較べ、ベンはなんという特異な環境の中で生きていることだろう。
私は、ただ呆然とグラスを重ねる。