このところ、葬式続きである。
10日ほど前に長年臥せっていたラーの同級生が亡くなって以来、ラーの恩師がふたり、親戚がひとり、そして昨日は隣家の太っちょ氏の妻の父親が急死した。
去る4月にもラーの叔母が相次いでふたり亡くなったが、4月はタイでもっとも暑い時季であり、いまは鬱陶しい雨季のさなかである。
人の死には、やはり天候が深く関わっているのだろうか。
*
村に住み始めた頃には、近隣の葬式にもまめに付き合ってきたが、村の葬式にはとにかく体力と気力がいる。
通夜はたいてい2晩か3晩がかりである。
仏教徒の葬式には焼酎がつきものだし、これに徹夜の賭けゲームが加わる。
クリスチャンの場合は、ギター演奏による賛美歌が延々と歌われ、これにマイクを握ってがなりたてるような司祭の説教と、信仰をテーマにした映画の上映が加わる。
いずれも、遠慮容赦のない大音量である。
これに1時間も付き合っていると、ぐったりしてしまう。
葬式にはふだん村を離れている人たちも戻ってくるので、入れ替わり立ち替わりラーの親戚や友人などが挨拶にやってきて、ビールや焼酎を振る舞われることになり、義理もあって無下にはできない。
これが3晩も続くと、柔な胃袋のこちらにとっては拷問に等しくなってくる。
いまは、この拷問が数日おきに続いている状態で、下手をすると私自身が葬式の主役になりかねない。
そこで、不義理を承知で仮病をつかったりしているのだけれど、その兼ね合いはなかなか難しい。
*写真は、川沿いの棚田である。昨日は、珍しく晴れた。
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10日ほど前に長年臥せっていたラーの同級生が亡くなって以来、ラーの恩師がふたり、親戚がひとり、そして昨日は隣家の太っちょ氏の妻の父親が急死した。
去る4月にもラーの叔母が相次いでふたり亡くなったが、4月はタイでもっとも暑い時季であり、いまは鬱陶しい雨季のさなかである。
人の死には、やはり天候が深く関わっているのだろうか。
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村に住み始めた頃には、近隣の葬式にもまめに付き合ってきたが、村の葬式にはとにかく体力と気力がいる。
通夜はたいてい2晩か3晩がかりである。
仏教徒の葬式には焼酎がつきものだし、これに徹夜の賭けゲームが加わる。
クリスチャンの場合は、ギター演奏による賛美歌が延々と歌われ、これにマイクを握ってがなりたてるような司祭の説教と、信仰をテーマにした映画の上映が加わる。
いずれも、遠慮容赦のない大音量である。
これに1時間も付き合っていると、ぐったりしてしまう。
葬式にはふだん村を離れている人たちも戻ってくるので、入れ替わり立ち替わりラーの親戚や友人などが挨拶にやってきて、ビールや焼酎を振る舞われることになり、義理もあって無下にはできない。
これが3晩も続くと、柔な胃袋のこちらにとっては拷問に等しくなってくる。
いまは、この拷問が数日おきに続いている状態で、下手をすると私自身が葬式の主役になりかねない。
そこで、不義理を承知で仮病をつかったりしているのだけれど、その兼ね合いはなかなか難しい。
*写真は、川沿いの棚田である。昨日は、珍しく晴れた。
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少々ご無沙汰しておりました。
僕の周りにいるタイ人皆様に限って言わせて貰えば“義理”という言葉とはま~ったくの無縁な人達ばかり(あくまで私感です)なのですがオムコイの皆さんの中にはそういった事を重んじる人達もいるのでしょうか...。
それと僕みたいにまったくお酒の飲めない人間はどのように対処してるんでしょうか?(普段の献杯も含めて)
義理というよりも、「面子」といった方が正確でしょうか。嫁を例にあげれば、「亡夫の葬式ではあの人に香典をいくらもらった」とか、「あの人にはこんなに世話になった」とかいった基準があり、再婚したいまはそれに見合う香典や夫婦揃っての顔出しでお返ししなければ顔が立たない、あるいはあとで悪い噂が立つ、といったことをかなり気にしますねえ。
そして、不義理を重ねると、確かにいろんな噂話が耳に入ってきます(笑)。
酒については、まず最初に「女性は大好きだが、酒は飲めない」と宣言すれば、みんな笑って許してくれます。それでも、しつこく勧められるでしょうが、以降も断固として断り続けるしか手はありません。
ちなみに、わが家の向かいに住む副村長は以前は大酒呑みでしたが、衆目の前で奥さんに殴られてからはぴたりとやめ、それからは村の衆もほとんど勧めることはなくなりました。
ですから、最初にパートナーの女性と打ち合わせをして、酔った振りして思い切り殴られる、という演技が一番有効かもしれませんね(笑)。