【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【精霊流しを終えて】

2008年11月14日 | アジア回帰
 またもや、すっかりご無沙汰してしまった。

 なにしろ、山の中のわが家ではネットが使えない。

 そこで、パワーブックを背負ってオムコイの町にある甥っ子の修理工場まで出かけてくるのであるが、甥っ子が部品をオンライン検索していたり、先客がいてゲームなどをやっていたりすると、無駄足になってしまう。

 そんなことが何度か続いたので、次第に足が遠のいてしまい、更新がおろそかになってしまったという次第である。

              *

 オムコイではいま、稲の収穫期真っ盛りである。

 1週間前には、腰痛持ちの私も脱穀の手伝いに駆り出され、鎌で刈ったまま放置されていた稲を束ねて1ヶ所に運んだり、2本の竹の棒に束ねた稲を挟んで古タイヤに叩きつけたり(これが脱穀である)、体には厳しいけれども、収穫の喜びに満ちた労働を心から楽しんだ。

 だが、やはり無理は禁物。

 3日目に入るとさすがに背中や腰が痛み出し、それ以降は田んぼに出るのを自重して、もっぱらバナナ園での野菜の植え替えや雑草取りに専念する日々だった。

        *

 そうするうちに、タイの一大行事ロイクラトーン(精霊流し)が始まった。

 そこで、夜になると家族でオムコイの町に繰り出し、伝統音楽や村別対抗キックボクシング大会に熱狂(わが村の厶エタイ戦士は2連敗と振るわなかった)。

 3日目の夜には、バナナの幹と葉っぱで自作した精霊舟(?)を川に流して、亡きカミさんと先祖の霊を供養した。

 4日目の夜は、盛大なコー厶ファイ(ろうそくの熱で大きな紙の風船をふくらませ夜空にあげて厄を払う・爆竹付き)と花火が夜空を飾る。

 そして、最終日の昨夜はわが家の庭で盛大な焚き火をして、近在の衆と共に焼酎の酒盛りをした。

           *

 こうして駆け足で近況を綴っていると、なんだか慌ただしい日々であったような気がしてくる。

 とりわけ、精神的には揺れに揺れた数週間であった。

 私はいま、オムコイの地の感触を噛みしめるように畑の土とたわむれている。

 わずか1年間の滞在であったとはいえ、乾季の抜けるような青空とこの大地とは深く深く結ばれたように思う。

 やんごとなき事情から、間もなくこの地を離れることになりそうだが、このバナナ園の土は私の流した汗を少しの間だけでも記憶してくれるだろうか?

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