「急に寂しくなりましたね」
賑やかな同宿の面々が去ったあとで、ひとり居残った兼子さんにそう声をかけると、
「昨日は昨日で楽しかったけど、今日はのんびりと静かな時間を楽しむことにします」
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故郷の山間部にある大学では自転車部に属して、自然の中のツーリングを楽しんだ。
ところが、東京での仕事は忙しくて残業続き。
日常で自然を感じるのは、通勤の途中でふと空を見上げるときぐらいだという。
旅先でものんびりしたいいという思いが強く、カレン族にも興味があったことからチェンマイ一泊後にオムコイ行きのバスに乗った。
午後になって宿横を通りかかると、割り竹床のテラスで、わが拙著『「遺された者こそ喰らえ」とトォン師は言った(晶文社)』を読んでいる。
「ここ、静かで本当にいいですねえ。この場所で書かれた本を読みながらまわりの景色を眺めるというのも、不思議な感覚です」
その後村の散歩に出ての感想は?
「みんなが何か声をかけたり、微笑んでくれますねえ。特に、子供たちがワイ(合掌)しながら送ってくれる笑顔が最高です」
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少し日が傾いてから、川沿いの道を下って古い竹橋を渡るミニ・トレックに出た。
刈り入れの終わった棚田、強い陽射し、牛の餌用に積まれた藁束、青空、白い雲、支流のせせらぎ、小川、渓谷、岩のテーブル、そして竹橋。
ただそれだけの田舎の風景なのに、彼はそれぞれに「いいですねえ」を連発してくれる。
冒頭の写真のポーズは、おそらくこのときに彼の中に満ちてきた溢れるような思いを表現してくれたのではあるまいか。
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宿に戻ると、女将のラーが「昨日、親戚がカエルを届けてくれたからそれを料理しようか」という。
彼に確認すると「ああ、それは絶対食べたいです。昨日台所でカエルを見たんで、実は楽しみにしていたんですよ」
できあがったのは、トムヤム・ゴップ(トムヤム味のカエルスープ)。
各種の薬草や香草、春雨などと一緒に煮込んだピリ辛味である。
念のために、前日ウイワットがお土産に持参してくれたプラーサバ(鯖)の網焼きも一緒に添えたのだが。
「あ、おいしい! あーっ、かなり辛いけど、これ、おいしい!」
こちらの心配をよそに、トムヤムゴップをどんどん平らげていく。
いやあ、こりゃあ番頭さんよりもカレン族に近いわい。
食事の合間には、カレン族や村の暮らしに関する細かい質問が続く。
好奇心、旺盛である。
食後は、星空を堪能するために村の入り口までひとりで出かけて行った。
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兼子さん、拙著を読んで村はずれの滝にも関心を持ったらしい。
「是非に」ということで、翌日の朝食のあとバイクによる滝見物および棚田遠望ツアーに案内した。
同宿だった工藤さん、ビザ切れが迫って心を残しながらチェンマイに戻って行ったのだけれど、わずか一泊の違いでこんなにも回るところが違ってくるんですよお。
さて、乾季に入って水量が減り迫力はいまひとつなのだが、兼子さん「ここをカヤックで下ったら面白そうですねえ」
滝上の淀みまで下りて、水に手を浸けたり、岩の上に佇んだり。
上流の渓谷でも岩に腰をおろして、空を見上げたり、原生林に目をやったり。
「いやあ、やっぱり水の音って落ち着きますねえ」
普段の忙しさから、すっかり解き放たれている様子だ。
よかった、よかった。
ちなみに、年末に松田さん夫妻が渡った竹の橋は1週間ほど前の時ならぬ雨のせいで壊れ、残骸が岩に引っかかっていた。
戻りは、原生林ギリギリまで拓かれた棚田のどん詰まりの景観を遠望しつつ、出発までのゆったりとした時間を過ごしたのだった。
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