金曜日の夕刻から降り続いた雨が、やっとあがった。
ベランダに出ると、肌寒いくらいの冷涼な風が吹き渡り、気温は20度を下回っている。
日だまりを求めて嫁のラーと川べりの散歩に出たのであるが、茶色の濁流が堰をすっかり覆ってすさまじい音を立てていた。
それもそのはず、昨日の雨は台風のような激しさで、屋根が吹き飛ばされるのではないかと心配したくらいなのだ。
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雨に降りこめられると、食事と房事以外にすることがない。
舗装の途切れた悪路をバイクで走るのは危険だから、豚の世話も豚舎のそばに住む義姉に任せざるを得ないのだ。
そこで、雨の音が防音効果を生むことを幸いに、懐かしき「キングクリムゾン」や「U2」のCDを普段は聴けないような大音量で聴き続けた。
それにも飽きると、われわれの足は自然と隣家へと向かう。
隣家がかつては阿片吸引者の溜まり場になっていたことはすでに書いたが、厳しい取り締まりのおかげで、いまは隣家の主婦も息子たちも阿片吸引をやめている。
その反動で、主婦と次男は絶えず焼酎を飲んでは酔っ払うようになって、それが夫婦間や親子間の大喧嘩の原因になっていたのであるが、このところかなり落ち着いたようで、それが彼ら本来の姿なのだろう、私に対してもまるで家族のように親しみのある素顔を見せてくれるようになってきた。
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この日(金曜日)は、剃髪し寺に修業に入って阿片を断ち切った三男が“焼き鳥”をご馳走してくれるという。
囲炉裏では、すでにお頭付きのまま開きにされた体調15センチほどの野鳥が飴色にあぶられている。
われわれが座り込むと、彼は改めて薪をくべて燠をつくり、それを網の下において仕上げにかかった。
「クンター、あと5分くらい待ってくださいね」
そう言うと、お決まりの焼酎を注いでくれたが、私はこれをていねいに断り、代わりに嫁のラーが少しだけ飲み干した。
彼は、鳥の焼け具合を見ながら、問わず語りに語り続け、ラーがときおりそれを通訳する。
「夕べから猟銃をかついで山にこもり、ずっと鳥を追いかけていたというの。収穫はこの2羽だけだから、大変な作業に違いない。でも、家にいるとお母さんが焼酎を呑んでは酔っ払うから、家にはいたくない。鳥撃ちは大変でも、山にいると気分がすっきりして、嫌なことも忘れられるそうよ」
そうするうちに、鳥が焼き上がった。
まずは、串刺しにした肝臓や砂肝。
次に、開きにした体を引き裂いてもも肉や胸肉を私や嫁に差し出してくれる。
2日がかりの収穫物だというのに、自分は私が敬遠した頭部をかじるだけだ。
かつては、山で飼っていたわが家の鶏を盗んで喰ってしまったこともある“ワル”が、なんという変わりようだろう。
「阿片をやめたいまも、村の人たちは彼のことを良くは思っていない。面と向かって、『悪い奴だ』と言う人もいる。でも、彼はいま自分自身をコントロールできるから、人の言葉は気にならない。気になるのは、阿片をやめたあとも焼酎に溺れる母親や兄のことだけ」
囲炉裏越しに、坊主頭が妙に似合う彼の顔を眺めながら、ラーの息子も含めてこういう若い衆にふさわしい仕事がないものか・・・と、つくづく考え込んでしまった。
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あ、書き忘れていたが、鳥の肝臓は鶏のそれよりも淡泊だが、それなりに濃厚で食べごたえがあった。
もも肉も胸肉も、小さな体にしてはしっかりと肉がついており、嫁の味付けも奏功して「うーん」と唸るほどの出来栄えである。
これぞまじりっ気なし、天然自然の本物の焼き鳥と言えるだろう。
昨年の10月からこの村に暮らし始めて以来、他家でご馳走になった食べ物の中では掛け値なしのナンバーワンにランクされる“しみる”味であった。
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