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さて、確か3年前くらい前だったと思うが、わが村でもようやく待ちに待ったゴミの回収が始まった。
各戸に古タイヤで作った緑色の「エコゴミ箱(?)」が配られ、黄色の小型回収車が週に一度回ってくるようになったのだ。
それまでは各自処分だったから、穴を掘って埋めたり、燃やしたり、人の目につきにくい崖の下に放り投げたり・・・。
大雨が降ったりすると、そうして隠しておいたゴミが棚田に至るガイドコース(川沿いの道)になだれ落ちたりして、元番頭さんはさんざ頭を悩ましたものだ。
定期的なゴミの回収が決まり、まるで「分福茶釜」のように愛らしいゴミ箱が届いたときには、本当に嬉しかった。
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ところが、去年の半ば頃になって、突然「各戸のゴミ回収を中止する」という通達がなされた。
どうやら、山奥に用意していた処理場が、予想外の大量のゴミであふれてしまったらしい。
しかし、回収に慣れた私も含む村の衆にとって、そんなことを突然言われても困ってしまう。
村長に掛け合うと、「郡役所で決まったことだから仕方がない。昔のように各自で処理してくれ」という返事。
しばらくすると、案の定、川沿いの道や崖の下などのあちこちにゴミが放置されるようになった。
このままでいけば、それこそ「ゴミの村になってしまう」という懸念が高まってきた。
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村長も、村人たちから相当に突き上げられたのだろう。
2ヶ月ほど前になってようやく、村の数カ所に共同ゴミ箱が設置されるようになった。
わが家の場合は、百メートルほど離れた公民館の前のものが一番近い。
やれやれ。
これで、ようやく頭を悩ませてきたゴミ問題から再び開放される。
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そう思ったのだが、村の衆のゴミの捨て方を見ていると、またもや不安になってきた。
このゴミ箱は、写真でご覧のように一応は「普通ゴミ、ペットボトル、瓶・缶」と3種類に分別することになっている。
ところが、よく見るとペットボトルの枠内に普通ゴミが、しかもゴミ袋に入れない状態で散乱しているのだ。
これは、回収する側にとってはたまらないだろう。
回収するためには、係の人がゴミの山の中に入り込み、両手ですくって集めるしかない。
「こんな捨て方をするのなら、回収は中止するぞ」
今度は、行政の方がへそを曲げかねない。
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村長さんよ、せっかく共同ゴミ捨て場が設置されたのだ。
ゴミ袋の使用や分別について、もっと徹底的に指導通達を行うべきではありますまいか。
もっとも、いくらきっちりと分別しても、最終的にこれらのゴミがどう処理されているのか。
それについては、大いに疑問が残るのではあるけれど・・・。
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10年ほど前からごみの回収が始まりました。
ごみの入れ物は同じものだと思われます。
ぶんぶく茶釜のような形です。
それまでは料理の残ったものは、台所から外にほり投げるだけです。
そうするとまず大きい犬がやってきます。
次に小さい犬。
ニワトリ。
小さい鳥。
後は見えないけれど、ミミズ。
微生物です。
これは順番が決まっています。
ところがスーパーが町にできて、
と言っても、バイクで30分ですが。
燃やさなければならないものが増えた。
特に発泡スチロールが困りもの。
我が家は定期的にトイレのためにバキュームカーが来ます。
水洗にしたために水の量が自然に土にしみこむのに追いつかない。
私は昔ながらの柄杓(ヒシャク)ですくって流すのを主張したが、
嫁さんが勝手に水洗トイレにしました。
シャワーも付けた。
そのため、村の給水が間に合わずモーター付きの井戸を掘った。
ところがところが、停電が頻繁。
長い時には1週間。
隣のお母さんの家でトイレをすることも。
大きなことを言えば、
近代化は代償を払う必要がある。
北海道の大停電のために、原発の稼働にドライブがかかるかも。
私は原発に絶対反対というわけではないが、
利益と損失、バランスはどうなのか。
福島の事故のようなものが、世界で2回。
イサーンの田舎で世界の環境を憂いていました。
わが家のトイレは浸透式ですが、なんの問題も起きていません。トイレでは、オムコイの勝ち?(笑)