【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【旧日本軍戦闘機エンジンか?】

2014年03月22日 | オムコイ便り

 もう2ヶ月ほども前のことになろうか。

 北タイ発の人気ブログ「チェンマイ・田舎・新明天庵だより」管理人であるYさんから、こんな依頼が舞い込んだ。

「旧日本軍人の慰霊活動を行っているさる方から、オムコイ郡メトゥン高校に旧日本軍戦闘機のものらしきエンジン部分がモニュメントとして展示されているという情報と写真がもたらされた。可能なら、それが事実であるかどうか、本当に日本軍のものなのか、どういう経緯で展示されるに至ったか、調べてもらえまいか」

 メトゥンといえば、オムコイの町から80キロほど離れている。

 私自身はまだ行ったことがないのだが、ネットを通じて知り合った日本からの教育支援ボランティアグループも定期的に訪れており、数ヶ月前にはちょうど居合わせたゲストが、そのグループのあとを追ってさらに山奥の村まで入ったことがあった。

      *

 その依頼を受けて、私はまったく驚かなかった。

 なぜなら、90歳に近いラーの叔父から先の大戦時にわが村にも日本軍が進駐して、英軍機の飛来もあったし、防空壕も掘らされたという話を聞いていたからだ。

 おそらくインパール作戦の途上だったと思われるのだが、進駐軍の一部はパラシュートで降りてきたという話もあって、その原因が何にしろこの近辺に日本軍戦闘機のエンジンが残されていたとしてもおかしくはないだろう。

 それどころか、進駐軍の中には娘だったラーの母親に思いを寄せて、英軍機が飛来するたびに真っ先に防空壕に導いてくれたという逸話も残されているのである。

 幸いにも爆撃は受けなかったようだが、このあたりの事情に興味のある方はぜひわが拙著『「遺された者こそ喰らえ」とトォン師は言った』(晶文社)にお目通しいただきたい。

     *

 さて。

 とりあえずは郡役所を訪ねたり、町の知り合いなどに声をかけてみたのだが、どうもハッキリしない。

 あるにはあるらしいのだが、それが本当に日本軍のものかどうか、その根拠は何かとなると誰もが困ったような笑いを浮かべて首をひねるのみだ。

 伝聞ではない科学的な根拠となると、そのエンジンに残されているかも知れない刻印のようなものを見つけるしか手はないだろう。

 私自身がメトォンに行って現物を見ることができれば話は早いのだが、その余裕はない。

 また、相変わらずタイ語もカレン語もからっきしの私が行ったところで、厳密な聞き込み調査はできない。

 うーん、どうしたものか。

 手を拱いているうちに、時間だけが過ぎてゆく。

     *

 そこへ、力強い助っ人が現れた。

 町の電力会社で働きつつ麺屋を開いているタイ人のバンクくんが、何かの拍子に「そのモニュメントを見たことがある」と言い出したのだ。

 彼は以前、ランプーンの工業団地で日本語通訳をしていたことがあり、そこそこの日本語を喋る。英語にも堪能だ。

 訊けば、電気工事でメトォンはしばしば訪れるといい「来週にも行く予定だから調べてみるよ」と約束してくれたのである。

 ああ、やれやれ。

 これでやっと、かすかな光明が見えてきた。

 だが、翌週、翌々週と何度彼を訪ねてみても、「ごめんなさい。まだ行けてないよ」

 うーむ。

 こうして、またタイ式に時間だけが過ぎてゆく。

     *

 そして、先週初めになって。

 町で偶然に顔を合わせた途端、「行ってきた! 写真も撮ったよ」

 携帯画面をのぞくと、確かにエンジンの姿が映り、中には刻印のような数字らしきものも見える。

 だが、光の加減でどうも不鮮明だ。

「悪いけど、この写真メールで送ってくれないか」

「分った。あとで、すぐに送ります」

「で、誰かに話は訊けたの?」

「それがね、時間がなくて話は聞いてない」

「・・・・・」

「でもね、僕も興味があるから、今度行ったら高校の先生とか年寄りとかに訊いてみるから、もう少し待ってね」

「分った。ありがとう。頼んだよ」

 だが、メールは一向にこない。

 急かすのも悪いから数日待ったが、昨日になってついに待ちきれなくなった。

 電力会社を訪ねるとすました顔で、

「ああ、こんにちは。はい、これ今月の電気代の請求書ね」

「おいおい、そうじゃなくて写真はどうした?」

「あ、忘れてた! ちょっと待って。今ここから送るよ。はい、完了。パソコンで見てみてください」

「ええと、ここはどのWifiだったっけ」

「あ、ごめん。会社の方針で、前にこっそり教えたパスワード使えなくなりました」

 まったく、もう。

 近くのフリーWifiカフェまで走って、ようやく待ちに待った写真を確認したのだった。

      *

 刻印を拡大してみると、丸に囲まれた「田」のような漢字らしきものも見える。





 これは、何らかの手がかりになるのではあるまいか。

 それにしても、エンジンの保存状態はとてもいいように見える。

 被弾墜落ではなかったのだろうか。
 
 すぐさま、Yさんに向けて写真を送信した。
 
 ともあれ、ありがとうよ、バンクくん。

     *

 折り返し届いたYさんからのメールによれば、さっそく関係者の中から戦闘機に詳しい人を捜して調査を始めるという。

 さて、どんな結果が出るものか。

 その前に、バンク探偵による現地聞き込み調査で、また何か新しい情報が入ってくればいいがなあ。

 すべてに人任せな番頭さん、ここでもその本領を発揮して「やれやれ」(何がやれやれなのか?)と呟きつつぼんやりと煙草を吹かすのだった。

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